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ロッキードN−104RBレッドバロン 
 エッシー
ダリル・グリーネマイヤー民間速度記録挑戦機 1977
 

 N−104RBというコードのスターファイター。このN−104RBとは民間登録番号で、実際はRB−104と呼ばれていたらしい。外見は見てのとおり、紛れもなくロッキードF−104。しかしそれは、1965年。僅か15ドルの部品エルロン・トリム・スクリューから始まった。と、いったもののこの部品が、実際どんなものなのか?ですぅ。それから11年の歳月をかけて一つ一つ部品をそろえ、こつこつと組上げられたのが、このスターファイター。いってみれば「寄せ集め」なのです。気の遠くなるような、こんな作業をやり遂げたのが、かつてアリゾナ州兵航空隊でF−100に搭乗してていた頃、F−104に仰がれ、後にロッキード社のテスト・パイロットとなったダリル・グリーネマイヤー。
 ちょっと余談になりますが、このダリル・グリーネマイヤー。1964年からリノにF8Fで参戦。1969年、P&W R2800−83Aにスーパーチャジャー装備の"コンクェストT"と名づけられたF8Fで、なんとWWU前の1939年、ドイツのMe209V−1が樹立したまま更新されなかったレシプロ機の世界速度記録を30年振りに塗り替えた。この記録はその10年後の1979年、その3年前からRB−104の完成に協力、スポンサー兼パートナーとなっていた、アイダホのポテト王、エド・ブラウニングのレーシング・チーム"レッド・バロン"が所有していたグリフォン搭載のP−51、"RB−51 レッド・バロン"(パイロットはスティーブ・ヒントン)によって塗り替えられ、更にその10年後の1989年、再びF8Fに塗り替えられた。今もってその記録は破られていないそうだ。ちなみにそのF8F。現在もリノに参加している"レアベア"でその公認記録はなんと850.25km/h!。このレアベア。ストックしているので、いずれ作りまーす。
 さて、自家用のF−104を持つという夢を追い続け1976年、エド・ブラウニングの協力でついにその夢を実現したグリーネマイヤー。77年、RB−51でリノを制覇。以前ご紹介した頂き物のダイキャストモデルRB−51がそれ。おまけにもう一度ご紹介しちゃいます。その後レシプロ機世界速度記録の更新はできなかったものの、リノを制覇した77年、3キロメートルコースでの世界速度記録をこのRB−104で樹立。現在もこの記録は破られていないそうだ。そして、当時ソ連のミコヤンE−266が持っていた世界高度記録に挑むべく、更なる改修が加えられたRB−104。しかし1978年2月26日、そのためのテスト飛行を終え飛行場に戻ってきた際、主脚ロックの信号が出ず、目視で確認できないままグリーネマイヤーは脱出。機体はエドワーズ空軍基地近くの砂漠へ墜落し、修復されることはなかった。異端のスターファイターRB−104、完成から僅か2年の雄姿だった。失意のグリーネマイヤーはこれを機に、2002年のリノにカムバックするまでレースから退いていた。
 で、138機めはN−104RB。キットは前作と同じエッシー。しかーし、同じエッシーなのにデカールが随分異なります。このキットのは結構厚くて硬く、ソフターを使っても馴染みが悪い!写真ではそれなりに綺麗に仕上がっている様に見えますがー、機体全面の白い部分。オマケ2のスターファイターズのブルー部分とおんなじで、3次曲面ではよっぽど馴染みの良いデカールじゃあないと厳しいですよねー。あちこちにシワが出来たり、気泡が残ってしまいました。取り説の指定カラーとは異なりますが、ちょっとラメ系のマイカレッドの吹き付けが結構上手くいって、現物よりソレらしい!と、大いに納得してたので、グヤジィー!このキットを付属のデカールでものの見事に完成させた方がおられたら教えて下さいなぁ。このデカールをどうやって軟らかくしたんですかー? 
 ということでセンチュリーシリーズ第5弾の続きで、一応ラスト6機めのF−104。出来はイマサン位ですがRB−104レッドバロン。

 
   
   
 
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