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グラマンF6F−5ヘルキャット

フロッグ
日本海軍 鹵獲機 1945
 
 戦時中、旧日本軍が鹵獲した連合軍機は相当な数になるようだ。国内に空輸された飛行可能だったB−17やP−40、バッファロー等は昭和17年に羽田で一般公開された。また、マレー半島などの東南アジア戦域で活躍した「加藤隼戦闘機隊」では鹵獲した2機のハリケーンUBTropを部隊に編入させており、加藤少佐自らが搭乗。垂直尾翼には64戦隊隊長機を表す白い矢印まで書かれていたそうだ。で、この日の丸ヘルキャットもそんな鹵獲した機体のひとつでして、そのマーキング。フライングパパスデカールから発売されているんです。しかし、この横空のコードが書かれたF6F−5。戦後、横須賀へ進駐したアメリカ軍が発見した時は、大破した状態でして、いつ、どこで鹵獲され、フライアブルな状態だったのかは、良く分かっていないらしい。ところが、というか、実は、というか昭和20年1月、台湾の虎尾海軍基地で、ほぼ無傷のF6F−5が鹵獲されてるんですね。エンジン不調で不時着したVF−44所属のこのヘルキャット。プロペラが曲がり、機体下部を若干損傷していただけだったようで、基地近くの虎尾神社の境内で一般公開されたらしいんですが、その後の消息が不明とのことなんですよぅ・・・・・。この時期に台湾から横須賀まで空輸するのは、零戦なんかでガードしてもかなり難しい状況だったでしょうが、怪しいぞーぉ。
 てなことでキットは5型ではなく、ストックの関係からジャンクのフロッグ、F6F−3を使いました、悪しからず。凸モールドのパネルラインの昔のキットですが、これも一連のジャンクと同様、前オーナーが筋彫りにしようとしてまた頓挫しちゃったようですねぇ。全面筋彫りし直しました。しかーし、3と5ではパネルラインの構成が若干ことなります。図面を見ながら5型にしたつもりですが、どーも3と5の折衷みたいな感じになっちゃいましたぁ。風防後ろの窓をプラ版でふさいで、どうにか5という感じに。垂直尾翼の前後幅がちょっと短いようですが、修正はしませんでしたぁ。
 日の丸の白い縁を写真に見られるように、いかにも手で書いたようにして、完成ーっと。
   
   
   
とじる