3機目のテンペストは空冷セントーラスのMk.U。140作目のトーネード試作3号機から発展したといって良いんじゃないでしょうかねぇ。当時はまだMk.Xの生産に追われ、ホーカー社以外で生産しようとしたものの、グロスター社等はミーティアにかかりっきりでMk.Uの生産は遅れに遅れる。で、やっとこさっとこ目途がついた大戦末期、東南アジアの対日戦に当てる予定だったようですが、どっこい予想より早く日本が降伏しちゃったんで、さーてどうしょう? 1530機という初期の大量発注は大幅なキャンセルにより僅か482機の生産に終り、イギリス空軍のテンペストUは1951年を最後
にホーネットに交替。また余剰となった機体のうち89機がインド、24機がパキスタンに引き渡され1950年代半ばまで使用されたそうだ。そういう面では悲運の高性能戦闘機っちゅうことかなぁ。このテンペストUを、小型軽量化したフューリー(非常に洗練されたデザインの複葉機フューリーが存在するので正確にはフューリーUということなんでしょう)はシーフューリーとしてイギリス海軍が採用。朝鮮戦争では、あのMig−15を撃墜するなど、レシプロ戦闘機のひとつの究極の形といわれる高性能機ですよ。
キットはマッチボックスのコンバチ。このMk.Uと普通のMk.Xのコンバチかと思っていたら、そうではなく、翼付け根にオイルクーラーを移し、2340馬力というより強力なセイバーXを搭載したMk.Yとのコンバチでした。確かに主翼が一種類でしたぁ。馴染みの二色モールドと、これもマッチボックスならではのパネルラインはぶっといスジ彫り。二色モールドがなんなのさぁ!と、スジ彫りはやり過ぎじゃあないかい!と、いつも思ってますー。フォルムは宜しいようですし、バリも少なく、パーツの合いもエッジをシャープにすれば、そこそこぴったりです。戦闘爆撃機型のFBUとのコンバチも出す予定だったのかなぁ? ロケット弾ランチャーや爆弾架のパーツを取り付けるためでしょうねぇ、翼下面にポチポチと穴が開いてます。一応埋めましたけどぉ?それと、どういう訳かプロペラの取り付け方法が変!指示どおり組むと、あーらら、スポンと抜けちゃいます。小さい輪っかを自作して止めました。ということで、へんてこりんなところもありますが、パーツも少なくサッサカサーっと組めちゃいますぅ。
塗装ですがキットにはMk.Uのイギリス空軍のデカールは付いてませんので、別売りを使用しました。このMW742。シリアルの順に生産されたとしたら量産8号機でして、WWUは終わったのに何故か機首と尾翼に白い識別の帯が書かれているます。また、コードレターが書かれていないので、多分大戦後インド方面に展開した152スコードロン所属の機体だろうってことになりましたぁ。で、おまけですが、このMW742はその後インド空軍へ売却された89機の1機だそうだ。
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