前作の飛燕と同じファインモールドの五式です。
さて、旧日本軍で唯一の液冷エンジンを搭載した中戦闘機、飛燕。高々度での性能も良く、あのB−29の迎撃や護衛で飛んでくるP−51等を相手に活躍した訳ですが、いかんせんその数が足りん! ようは、ベンツDB601を国産化したハ40。構造が複雑で、ドイツの進んだ工業力が有って初めて量産できたっちゅうことを、日本の旧陸軍の偉いサン達は気が付かなかったよーだ。機体はバンバカ出き上がるのに、ちゃんとしたハ40がおいそれと出来ず、間に合わない。で、エンジンのない、いってみれば首の無い飛燕T型が工場から溢れ出しちゃった。更に、このハ40の出力をアップしたハ140を搭載し、弦長を増加して翼面積を増やしたU型。ハ140の不調で思ったように結果が出ず、結局T型の主翼に戻したU型改ですが、このハ140。ハ40に輪をかけて出来上がらない。んでもって、ものの本によると昭和20年1月にはT型134機、U型改230機の首なし機体が、出来て間もない国道21号のバイパスに2キロ以上も並んじゃったそうだ。
結果的にはT型の首なしは3月には解消したそうですが、
「で、どーするのョ?」
「なにを?」
「なにをって、首なし飛燕ですよぉ!」
「どーするといわれてもねぇ?」
「だって道路に溢れちゃってるのョ!」
「だったら信頼度の高い空冷エンジンを載せたらどーなのぉ?」
「おー、そりゃええかもしれませんねぇ!」
てなことで、急遽、とはいっても実際は昭和19年11月から設計を開始。陸軍が輸入していたFw190A5を参考にしたりして大変な作業だったようですが、U型改の首なし機体に公称1350馬力の空冷ハ112をくっつけてみたところ、これがこれが、機体の重量バランスもすこぶる良ろしく、なーんと飛燕よりも高性能を示したのでありますョ。加えて何よりも信頼性が高く、前線での整備もハ40やハ140よりはるかに簡単!でもって、昭和20年2月。キ100五式戦闘機として正式採用された訳ですが、この時期になってはその生産数は知れており、この機体も四式戦疾風や海軍の紫電改同様、その性能の高さを存分に発揮出来ないまま終戦を迎えることになった訳ですね。それを如実に表しているのが、愛称というか固有名称というか、隼とか疾風という名称が無く、単に五式と呼ばれていたこと。終戦間際で付けている余裕が無かったからとも言われておるんですぅ。
キットの具合はといえば前作飛燕と同様に宜しいのではー。で、このデカールも大変密着性がよいので、飛燕のようになまじソフター等は使わんほうが宜しいかと。ぷらもオヤジ/72は、ある程度密着してから、プロペラ先端のイエローのマーキングや、脚カバーの味方識別のイエロー部分など、モールドからはみ出た部分を馴染ませたり、部分的に浮いちゃった部分に切り込みを入れて密着させる為に使いました。
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