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ボーイングN2S−3


タカラレベル

アメリカ海軍 1941〜1943

 

 1933年、ステアマン社が独自で開発、初飛行させた複葉の練習機、ステアマンX−70。翌34年のアメリカ陸軍の練習機トライアルに参加し、見た目には旧式の複葉機だが、油圧とバネの緩衝装置を採用した片持式固定主脚のこの機体は、優れた操縦性と安定性、シンプルで丈夫な構造など実用性も高く、初等練習機としては充分過ぎる性能だったそうだ。早速発注か?と思いきや、最初に注目したのは陸軍ではなく海軍。当時、海軍が大量にストックしていたといわれるライトJ−5エンジンに換装したステアマンNS1として1935年に採用され「ケイデット」の歴史が始まった。で、その性能を見て陸軍がアタフタ!?したかは分かりませんが、遅ればせながら36年になってPT−13として発注したそうだ。どーも、このあたりの航空機の採用に関してのアメリカ陸軍の動きって、なんだかP−51のそれに似ているなぁ?
 ステアマン社は1939年にボーイングに吸収合併され、同社の工場はボーイング社ウイチタ工場と名称変更。その後、同工場で生産された機体は一時ボーイング・モデル75と呼ばれていた。ちょうどその頃、ヨローッパでの戦争の足音が大きくなり、第二次世界大戦に発展。アメリカはパイロットの本格養成に乗り出し、同機の大量発注をかけたためエンジンが間に合わない。そこで色々なエンジンに換装して海軍ではN2S−1から−5。陸軍ではPT−13、−17、−18のそれぞれにAとかBとかなど。さらにカナダ空軍向けでPT−27。これが同国で「ケイデットMk.T」と命名された。こういった様々な名称のバリエーションが、なんと第二次大戦が終わる年の1945年、その2月まで約10、000機が生産された。中には戦争のため量産されなかったPT−17Bという、PT−17に農薬散布装備を搭載した民間モデルが試作されていたそうな。
 で、練習機と言えばT−6テキサンがあまりにも有名ですが、その前に、まず最初に乗るのがこの初等練習機。多くのアメリカ陸、海軍航空隊のパイロットがお世話になった機体でして、そういう面ではテキサンより有名でもいいんですがねぇ? でもって大戦終結後、大量の余剰機は台湾、ペルーなどアジアや南米の空軍に。また、競技用やそれこそ農薬散布用等として民間へ払い下げられた。ということで、長〜くなってしまいましたが、これが前作のラッセル・ケイスの赤い複葉機の正体?です。
 で、同じタカラ・レベルのキットで、こちらは正調。コンチネンタルR−670−4エンジンを搭載したアメリカ海軍型、ボーイングN2S−3。1941年から43年半ばまでのマーキングです。しかし、張り線が前作同様、どーも思ったようにスンナリといかん! 難しいなぁ。

 
 
     
 
 
 
     
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