72作目のペガサスのFR−1ファイアーボールで、ランナーとパーツの境目がようわからん!という話をいたしましたが、今回はどこまでがモールドでどこからがバリなのかはっきりしないというキットです。それがこのP(F)−51H。オーストラリアはハイプレーンのキットです。
ハイプレーンといえばリノのレーサーを色々出しておりまして、ぷらもオヤジ/72、このレーサーだけでも10機以上はストックしております。が、これまでキットそのものをまじまじと確認したことは有りませんのですよ。そして今回、同社のキットの初めての制作でP−51H。パネルラインはやや細めの筋彫りで宜しいのですが、とにかく各パーツともどこまでがモールドでどこからがバリなのかはっきりせんのです。「そりゃあちょっとばかりオーバーとちゃますぅ?」とおっしゃる方もいらっしゃるかと存じますが、まあ、とにかく百聞は一見にしかずです。ただ、ハイプレーンが今でも存在しているのか確認しておりませんし、このキットはかなり初期のキットのようでして、新しめのキットの状態はわかりませんが・・・・・・。
と、いうことで、各パーツともかたっぱしから削り、ペーパーをかけ、エッジを出し、それらしく整形?です。フラップなどの可動部分は上から軽く筋彫り。プロペラは接着するだけですので、回転するように加工。バキュームのキャノピーは切りすぎないよう慎重にカット。脚柱など一部がメタルパーツで、こちらはマアマア普通の出来でしょうか。機銃口がありません。6門の発射口をピンバイスで。特徴的なWアンテナ。L字型のピトー管。主翼下のアンテナ等は自作。爆弾とロケット弾の懸架装置は別パーツになっていますので、高さと形を整えてから、何の目印もないので資料本などの図面を参考に位置を確認しながら一個一個接着しますが、翼下面のANGのコードレターがこれ等にかかりますので、デカールを貼ってからにします。などなど、すったもんだでどうにか形になりました。
すくいはそのデカール。水に浸してからマークがずれるようになるまで時間がかかるのに加え、破れやすいので焦らずに。その後はシャープで発色も宜しく、良く馴染み、密着性もすこぶる宜しいのです。
さて、このP−51H。シーフューリーやベアキャットが空冷レシプロ戦闘機のひとつの究極の姿であれば、このムスタングは試作だけに終わったCA−15やMB.5と共に液冷レシプロ戦闘機の究極の一機といっても過言ではないと思います。P−51F、G、Jなど軽量化を図った一連の試作の集大成で1945年2月に1号機が初飛行し最高速度784km/hを記録したそうだ。しかし、大戦の終了で発注は大幅にキャンセルされ、生産機数は僅か555機。加えて1号機が初飛行した1945年2月には既にP−80Aジェット戦闘機の納入が開始されており、いかにP−51Hが高性能といえ時代はジェット化の波が。生産された機体の多くは早々と一線から退き、州兵航空隊へ。8、000機弱という大量に生産されたP−51D(Kを含む)とは異なり、1950年に勃発した朝鮮戦争にも参加していない。1940年代半ば以降に開発、試作された種々のレシプロ戦闘機と同様に、その高い性能をフルに発揮することなく消えていった高性能機のひとつですね。
尚、このマーキング。取説には1955年のメリーランド州兵航空隊とありますが、ある資料本によると同航空隊がF−51Hを使用していたのは1951年6月から1954年12月までだそうで、1954年10月から一部重複しながら55年の12月まではF−51Dに戻っているそうです。
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