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スーパーマリン スパイトフルMk.]W


チェコマスター

イギリス空軍 ファーンボロー 1945 9月

 
 究極の液冷レシプロ戦闘機シリーズ第4弾はスーパーマリン スパイトフル。大戦末期になると、さすがの名機スピットファイアの改修も限界に近く、高出力グリフォンを搭載するためには、胴体、主翼を再設計する必要があった。特徴的な楕円翼を層流翼に変更するにあたり、Mk.20シリーズ用のそれとは別系統の設計も誕生したらしい。本来の新設計層流翼を使用した機体はスピットファイアMk.21として正式採用。別系統の直線テーパー層流翼の主翼はスピットファイアMk.XIVの機体と組み合わされ1944年半ばに試作されたものの、いまひとつ合わない。ならば、機体も新設計してしまえ。で、誕生したのがこのスパイトフル。胴体はやや太めになり、スピットファイアの弱点だった主脚もトレッドを広げ内側へ引き込むように変更されている。
 1945年4月にグリフォン69搭載の初期生産型Mk.]Wが初飛行。最大速度770km/hを記録し、空軍はすぐさま650機の発注を出す。ところがその初飛行直後にドイツが降伏。性能的にはまだそれ程ではないもののジェット戦闘機ミーティアが納入され始めており、空軍の関心はジェット戦闘機へ移り発注は大幅に削減。最終的にはたった16機となったそうだ。その他の3機のMk.]Wのうち1機は海軍型のシーファングの原型となるグリフォン89搭載の6翅プロペラを装備したMk.]Xに改修され、残りの2機はこれも6翅プロペラ装備のグリフォン101に換装されMk.]Yに改修。そのうちの1機が最大速度789km/hをたたき出したらしい。
 「らしい」というのは、Mk.]Xにはグリフォン90搭載のもう1機があり、グリフォン101を搭載したMk.]Yは2機ではなく1機だけという説がありまして、且つ最大速度を記録したのはそのMk.]Yではなく、このキットの取り説にはシリアルRB518のMk.]Wが1947年に記録し、その速度は494mph(795km/h)と記載されております。
 どうもこちらの説のほうが正しいようですがはっきとは分かりません。でも、いずれにしてもスパイトフルの1機が記録した速度が、イギリスレシプロ機の最高速度として記録されているそうだ。
 ちなみに海軍型シーファングはジェット化の遅れた海軍では生き残る道があるように思えたが、同時期に開発された、単価が低く、メンテナンスの楽な空冷レシプロ機の究極の1機といえるシーフューリーにジェット化までの繋ぎが託され、シーファングが採用されることはなかった。
 P−51H等と同様、液冷レシプロ戦闘機として究極の一機といえるこのスパイトフルもジェット化という時代の流れに飲み込まれ消えていった高性能機のひとつですね。
 キットは226作目のCA−15と同じチェコマスターレジンの比較的新しいキットで出来も同様。旧東欧件の簡易インジェクション等より遥かに宜しく、M.B.5のペガサスなどは足元にも及ばん!ただ、CA―15のところでも申し上げましたが、モールドが極めてシャープなためでしょうね、部分的にソリ、曲がりなどの形而変化がありますので、機体左右の合わせ等に若干の修正が必要です。コクピットの床板が大きいんでしょう、ソコソコ削らないと機体の左右が合いません。左主翼の取り付け角が今ひとつです。後部にスペーサーを入れ翼端を少し前に出さないと左翼だけ後退翼みたいになっちゃいます。その他多くのパーツの取り付け位置がインジェクションキットのようにはっきりとしてませんので、数少ない写真等を参考に位置を決めました。イスパノ機関砲も別パーツになっておりまして、パーツをほぼそのまま取り付けましたけどちょっとばかり長いんではないかい?次作予定のシーファングではもう少し短く切りますか。プロペラが接着するだけなので、回転できるよう加工です。ということで前述の最大速度を記録したというシリアルRB518のデカールも付いておりますが今回のはシリアルRB515で、1945年、ファーンボロー基地のMk.]Wです。
 で、こうして見るとあのスピットファイアの面影は水平尾翼の平面形に僅かに残る位で、どうこじつけようとしても、これは全く別の機体と言わざるを得ないですね。
 
 
     
 
     
 
     
   
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