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さて、これが究極の液冷レシプロ戦闘機の一機といえるかは難しいところですが、シリーズの一応最後としてスパイトフルの艦上戦闘機型として開発されたシーファングです。 スパイトフルの初期生産型Mk.]Wが最高速度770km/hという高速を誇ったため、当時の主力艦上戦闘機シーファイアの後継機として期待されたこのシーファング。Mk.31とMk.32の2タイプがあり、Mk.31は5翅のプロペラを装備したスパイトフルに着艦フックを取り付けただけといえる、いってみれば「フック付きスパイトフル」だったのに対し、Mk.32は油圧式主翼折りたたみ装置を持ち燃料タンクの容量を増量した他、3翅の二重反転プロペラを装備していた本格的な艦上戦闘機だった。 1945年5月には150機の大量発注がされたものの、第二次世界大戦の終決により発注は取消され、最終的には僅か18機が生産されただけで終わったらしい。その大きな理由が1947年5月、同年から予備役艦となった空母HMSイラストリアスで行われたシーファイアの最終型F.Mk.47との比較テスト。結果は艦上化されたとしたミーティアやヴァンパイアといったジェット戦闘機の予想性能に比べ満足できるものではなく、同時期に開発された究極の空冷レシプロ戦闘機のひとつといえるシーフューリーの方が汎用性や機体生存性が高いと判断されたため。 その後は評価試験のため実験部隊である778スコードロンに配備され、細々とながらテストが続けられて1948年頃にその生涯を閉じたらしい。で、このシリアルVB895が1947年5月にイラストリアルでテストされた778スコードロンの機体だそうだ。 232作目のスパイトフルと同じチェコマスターレジンのキットでスタートしたシーファングですが、パーツを洗浄したところで頓挫。うだうだとしているうち、プレゼントなどではない通常の製作でいえばなーんと言うことでしょう!1年と9ヶ月も経ってしまいまして、その間にスパイトフルのインジェクションが出、このシーファングもついにインジェクションがAZモデルから発売されてしまいました。 ということで、チェコマスターレジンはもう暫くおいといて、先行してそのインジェクションキットです。今更ですが、やはりレジンと比べるとプラキットは楽じゃあ!でも、どーしてなんでしょうか。プロペラはただ接着するだけの指示です。機首には穴が開いているし、二重反転ペラの機体側のスピナーにも穴は開いている。ひょっとするとこれって、作る側に「回転できるように加工してみたら?」っていうメーカーの側の挑戦なのかなぁ?「ならばその挑戦、受けようではないかぁ!」 で、回転するように加工。コクピットの床板の形状が取説の図と実際のパーツと全く異なっています。シートや操縦桿等の取り付け位置と機体への接着場所は自分で判断せねばぁ!と、国産のキットに比べると色々悩みましたが、それでもレジンに比べれば、ねぇ! P−51H以降、「ゼロ戦レッド」シリーズと交互に製作して参りました「究極の液冷レシプロ戦闘機」シリーズも、これらの機体以外には今のところ見当たりませんので一応終了です。「いやいや、これも究極の液冷レシプロ戦闘機だぁ!」というのがあればメールなど頂ければ幸いですぅ。 ところで、シーフューリーやF8Fベアキャットを究極の空冷レシプロ戦闘機とすれば、ターボチャージャー付きP&WR−4360−13という星型7気筒×4の28気筒3450馬力という強烈なエンジンを搭載し最高速度790km/hを記録したものの、やはりジェット化の波には勝てず二機だけが試作されたXP−72スーパーサンダーボルト等も究極の空冷レシプロ戦闘機といえるでしょう。一応72のキットはストックしておりますので、いずれ「究極の空冷レシプロ戦闘機」シリーズとして。 |
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とじる | |||||||||||