高久靄(1796-1843)は黒羽藩杉渡戸(栃木県那須塩原市)に生まれました。靄は同郷の豪商・大橋(菊地)淡雅の後援を受け、江戸画界の重鎮であった谷文晁の画塾・写山楼を訪れます。この時、靄の卓越した画力を見た文晁は、門弟ではなく客分として迎えたのでした。そして靄は、渡辺崋山、椿椿山、立原杏所らとともに、「文晁門四哲」と称されるようになります。
しかし1843(天保14)年、靄は急逝してしまいます。この訃報にパトロンである淡雅は、名家の画統が絶えてしまう事を憂い、白河の川勝隆古を高久家の養子にしたのでした。高久隆古(高隆古:1810-1859)は、若くして文晁の門人・依田竹谷に学んだのち、京都へ上り大和絵の画法を習得した人物です。このため、養父とは違った独自の画風を確立していったのでした。
本展では、和製「南画」から中国の南宗画へと傾倒していった靄、南画を踏襲し、独自の大和絵にたどりついた隆古、異なる画風を持ったふたりの作品を併せて展示いたします。また、この高久家を二代に渡って支援した淡雅と、その娘婿となった大橋訥庵、そして実子である菊池教中。さらに谷文晁を筆頭に門下四哲の崋山、椿山、杏所ら。そのほか小泉斐、池大雅、浮田一 など、彼らをとりまく人物たちの書画をご紹介いたします。 靄の静かなる山水図、そして隆古の雅やかな人物図。両者の絵画に対する、それぞれの個性的なアプローチをご堪能いただければ幸いです。