日待ち信仰

大日本国語辞典(冨山房)より
★日待
「日祭りの義」
前夜より潔斎し、明旦の日出を待ちて拝すること。東海道名所記「月まち・日待・庚申まち」
一代男「夜明けを急ぐ日待の遊び」

広辞苑第4版(岩波書店)より
★日待ち
@前夜から潔斎して寝ずに日の出を待って拝むこと。一般に正・五・九月のの吉日を選んで行い、終夜酒宴を催す。影待。福富長者物語「お日待より帰りて道々眠かりしも」→月待ち
A農村などで田植えや取入れの終わった時などに、部落の者などが集まって会食や余興をすること。おひまち。

日本史辞典(角川第2版)より
★日待
前夜から潔斎して寝ないで日の出を待って拝むこと。「まち」は元来神のそばにいることであったが、のち待つに転意した。日を祭る日本固有の信仰に、中世、陰陽道や仏教が習合されて生じたもので、1・5・9・11月に行われるのが普通。日取りは15・17・19・23・26日。また酉・甲子・庚申など。二十三夜講が最も一般的。講を作り部落で共通の飲食をする。

上北之垣内における 「日 待 講 」を見る

稲作民族の源流〜ふるさと京田辺市〜より

 申合セ  
   一、日待勤講之節ハ一戸毎ニ金五銭ヅツ当家ヨリ集金スルモノトスル
   二、同勤講三時規定ノ桝ヲ以テ白米ヲ集ムルコト
   三、講中申合セ順番日待ニハ左(下)之献立ヲ以テ相勤ムルコト
 献立  御酒  一升
   一、平皿(里芋・大根・鱈) 
   一、小皿(青菜ノ志タシ)     一、煮染(大根・里芋・牛蒡)
   一、汁 (豆腐才切・味噌汁)  一、組重(田作リ・数ノ子・牛蒡・豆)
   一、御飯   右(上)之通リ相定メ候也

今日新聞より
お日待ち(オヒマチ)

 先日、40年前にお世話になった、石垣西3丁目山下久志さん(84)から庭の「サツキ」が咲いたので、「オコワ」を炊いた。待っているので花見に来るようにとおさそいを受けた。花より団子「オコワ」ご飯を戴きながら話は、昔話 山下さんは、農家では、田植えなど共同作業が多いので、結束を図るため、何かにかこつけて、寄り会い会食をしたという。
 牛の神様「大将軍(だいじょうぐん)」祭やお日待ち(オヒマチ)の風習があって、近所隣りはみんな顔見知りだった。この「お日待ち」とは、日暮れから会合し、次の日の「お天道様」が顔を出すまでの待ち時間、つまり夜通し飲んだり食べたりして過ごす。お正月、お盆、お祭り、祭日のほか、オヒマチとは粋な休日を考えたものだ。(外山)

 

泣き日待ち 志摩市磯部町

・行事の内容・いわれ
毎年11月16日(最近は勤め人が多い為15日に近い日曜日に変更)に、磯部町夏草で行われる行事。
延宝3年正月16日、五桂池築堤の為に、多気郡五桂の地を離れて夏草の地に移住し、あらゆる辛酸苦労を重ねて、わずかの田畑を開拓し、五家族が相協力し栽培した野菜や米麦を同年11月16日、神前に御供えして、しばらく生活の見通しが出来たと五家族、老若男女、共に手を取り合い、うれし泣きに泣いた。それ以来約320年間、泣き日待ちと称して毎年、野菜や米麦を持ち寄って祖先達の当時の労苦を忍び、又区民の親睦も兼ねてごちそうを食べる。

行事にまつわる食べ物
昭和52年より簡単な献立に変わる。

・ごはん ┌五目飯
└白飯
・添物 大根なます
煮〆
ぬた
きんぴらごぼう
漬物
伝統行事“お日待ち”復活  ムービー 11/23 19:26

福岡市の西浦地区で、福岡県西方沖地震による被害で去年は中止された伝統行事が復活しました。
福岡市の西浦岡地区ではきのう午後、9世帯の家族が集まって、餅つきが行われました。
これは、「お日待ち」という伝統行事で男性たちは、杵ではなく、棒で餅をついていきます。
江戸時代から伝わる伝統行事ですが、去年は福岡県西方沖地震で大きな被害が出たことから中止されました。
つきあがった餅は女性たちが、あん餅や独特の形の鏡餅にしてお供えし、五穀豊穣などを祈りました。