大橋訥庵 政権恢復秘策
                              文久元年(1861)9月起草

癸丑甲寅ノ歳外夷来テ通商ヲ乞ヘルヨリ以来、幕府ノ処置一事モ其宜シキ所ヲ得ズ、因循姑息ノミヲ専ラトセラレシカバ、外夷ハ益驕慢ヲ逞シフシテ、凡ソ其欲スル所強テ乞ハズト云コトナク、幕府ノ有司ハ彼レヲ怖ルルコト日々ニ甚シフシテ、外夷ノ強テ乞フ所ハ是非ヲ論ゼズ利害ヲ問ハズ、總テ許サズト云コトナシ。サレバ初メハ墨夷ノ一国ノミナリシカドモ、諸蛮次第ニ推シカケ来リテ、後ニハ英仏以下ノ五夷國ノ条約盟誓ヲ結ブニ至レリ。カクテ此五國ノ外ハ決シテ交易ヲ許サズナドト幕府ノ有司ドモ口ニ唱ヘテ、天下ノ議論ヲ防ギシカドモ、其後波爾杜瓦爾ト索漏生来リテ、強テ通親ヲ求メシカバ、終ニソレヲモ許容シテ、今ハ既ニ七國トナレリ。然ラバ此後トテモ妄リニ威力ヲ挟テ来リテ求ル夷狄アラバ、峻拒スルコト能ハズシテ、数十國ニモ至るベク、際限ノナキコトに非ズヤ。


嘉永6年から7年にかけての、ペリーによる通商要求以来、幕府のとって来た処置は一つも良いところがない。古い慣習にとらわれて、一向に改めようともしない。このため外夷は益々驕り侮ってきて、その要求はエスカレートしてゆく。幕府の担当官はこれに対して怯えを増すばかりで、要求することは是非を論ずることなく、利害を考えもせず、全部言いなりになってしまう。その結果、はじめは米国の一国だけであったのが、他の国々も相次いで押しかけて来ると、イギリス、フランス、ロシア、オランダなど5カ国との条約を結ぶ結果となった。幕府はこの5カ国の他は決して交易を許可しないからと公言して、反対意見を抑えて来たが、その後、ポルトガル、プロイセンからも強く要求されると、ついにはこれも許して、今に至っては7カ国になってしまっている。このようなことでは、今後も威力を持って迫られたなら、これをきっぱり断ることができずに、数十国にも至って際限のないことになろう。

元来我神州ハ土地甚ダ沃饒ニシテ、物産極メテ多シト云ヘドモ、地ノ出ス所ニハ限リ有テ、諸蛮ノ求ムル所ニ限リナケレバ、後ニハ精髄ヲ吸盡サレテ、居ナガラ枯木ノ如クニナリ行キ、精神奄々ト消エハテゝ滅亡スルニモ至リナン。ソハ貿易ノ興レルコト未ダ三年ノ月日ニ満タザレドモ、物価ノ騰貴、列藩ノ疲弊、細民ノ困窮等ハ、殆ンド凶歉ノ如クニナレルヲ以テ悟ルベシ。況ヤ近日ノ形勢ハ、英夷ノ乞ヘル所ヲ許シテ、皇国四辺ノ海岸ヲ精細ニ彼レニ測量セシメ、或ハ江戸南郊ノ殿山ニ堅固ノ城堡ヲ築キ立テ、、諸蛮ヲ其中ニ住居セシメント欲スルナド、至ラザル所ナケレバ、此マゝニシテ数年ヲ過ギンニハ、堂々タル我神州モ悉ク耶蘇ノ邪教ヲ尊奉シテ、戎狄ノ属国トナルニモ至リ、幕府ハ夷酋ノ輩ト、婚嫁ヲ通ズルニモ至ランコト、掌ヲ指テ視ルヨリモ明ラカナリ。早ク攘夷ノ策ヲ定メテ腥羶ノ臭気ヲ一掃セズンバアルベカラズ。


もともと神国であるこの国は、土地は肥沃で物産も非常に多いのであるが、土地から算出するものには限りがある一方、野蛮な外国から要求すること限りがないために、このまま行くと国の根幹まで吸い尽されて、立ち枯れた木のようになり行き、その精神も絶え絶えとなって滅び去って行くようになるだろう。このことは、海外貿易が始まって3年の月日もたたないと云うのに、物価は高騰し、列藩の財政は疲弊し、国民の困窮など、まるで凶作飢饉の時のようになっているのを見れば分かるであろう。それどころか、最近の形勢は、イギリスの要求するままに、国の周囲の海岸を精細に測量させたり、江戸南郊の御殿山に堅牢な城のごとき建物を建設して夷盡を中に住まわせようとするなど、唯々諾々至らざるところなしという状態で、このまま数年たてば、神国である我が国もキリスト教の邪教を信奉するようになり、外国の属国になって、幕府は野蛮国の長と婚嫁を通じるようにもなるのは明白である。早急に攘夷の策を定めて、この生臭い空気を一掃しなければならない。