2007年11月10日 中学卒業40周年の同窓会が兵庫県西宮で開かれたので、足を延ばして、尼崎市にある久々知神社を訪ねました。久々知神社は尼崎市にあり、JR宝塚線塚口駅から西へ約700メートル、近松(門左衛門)の里に隣接している。

菊池の語源とされているのが、鞠智であり、久々智、久々知とも書かれる。そしてその由来を遡ってみると、3世紀の古代ロマンに遭遇する。邪馬台国の時代である。


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久々知須佐之男神社拝殿
昭和60年に再建された。創建は鎌倉時代の1617年と伝えられている。
「菊池」は日本最古の姓?
魏志倭人伝 3世紀末に編纂された中国の正史「三国志」の一つである魏志の最後に書かれている東夷伝の一節で日本人について記された最古の文献である。

【その南に狗奴国がある。男子を王となして、その官に狗古智卑狗があって、女王国には服属していない。狗奴国より女王国までは一万二千余里の距離にある。】

さて、左の記事の中「狗古智卑狗」の文字がある。これは、「くこちひく」と読めるが、これを呉音で読むと「ククチヒク」と発音する。ククチ=久々知、ヒク=彦の意となり、早稲田大学の水野祐先生の説では「狗古智卑狗」=「菊池彦」とされている。

魏志倭人伝が日本について書かれた最古の文献であることから、「菊池」という姓は日本最古の姓のひとつであると云える。

そして、邪馬台国論争で九州説をとるとすれば、狗奴国は熊本県に位置し、熊本には鞠智があり、菊池という地名が残っている。
では、摂津国にある久々知という地名はどこから由来しているのだろう?果たして邪馬台国畿内説から説明がつくのであろうか。

久々知1〜3丁目 久々知西町1〜2丁目 現在も残っている尼崎市の町名である。この付近には弥生時代から古墳時代の遺跡が散在している。旧久々知村は久々知町のほか、尼崎市の南塚口町4〜5丁目、名神町2〜3丁目、東塚口町2丁目、尾浜町3丁目、若王寺3丁目、潮江3〜4丁目、上坂部2丁目、下坂部2丁目、4丁目と広い範囲に渡っている。古代氏族久々智氏の領地であったと推定されている。
もし、尼崎が狗奴国とするならば、邪馬台国はこの北、丹波とか、出雲ということになる。邪馬台国出雲説というのも確かに存在はするのだが、根拠に無理があるように思える。


では、こういう説はいかがであろう?
邪馬台国は意宇出雲国
邪馬臺國とは、東夷傳倭人条の原文
『倭人在帯方東南大海之中依山島爲國邑』に表記の通り
『大海之中』こと“日本海”の意宇出雲国に建立していた。
女王俾彌呼の遣使・難升米(ダン・スンミ)とは、檀・蘇民(タン・ソミン)別名・須佐之男命である。
難升米こと邪馬臺國の大王・須佐之男命は、魏帝・齊王芳から
『黄幢』(天子からの旗ぼこ)を『付郡』魏国の領土である郡の長官より『假授』賜っていたのである。
「久々知=須佐之男」神社という一致は偶然?

また、「景初三年」の銅鏡が出雲から発見されたことで、邪馬台国=出雲が立証されたという学説もある。

【1972年8月、その赤川護岸工事の時に、神原神社の真下から古墳が発見され、竪穴式石室から刀剣や勾玉、そして三角縁神獣鏡と言われる中国製の銅鏡が発見されたのです。
 その直径約23センチの三角縁神獣鏡には、『景初3年陳是作』という銘文が刻まれていました。
 この発見は、実は、わが国の歴史を変えるほどの大きな意味を持っていたのです。】

ただし、尼崎が魏志倭人伝における「狗奴国」であると主張している説はあったであろうか?出雲説では狗奴国=アイヌ(関東以北)とされている。下記地図参照(邪馬台国は意宇出雲国より)


久々知付近散策



久々知須佐之男神社の入り口
周りは閑静な住宅街
鳥居は平成七年の阪神淡路大震災で倒壊したが再建された。下は震災で倒壊した鳥居。


 現在の祭神は牛頭天王・諏訪明神・須佐男命・末社愛宕社。社前に矢文石と呼ばれる石があり、源満仲が足をかけて多田(現川西市)に向かって矢を射たという伝説がある。



近松公園側から見る神社
 久々知字宮ノ前(現久々知1丁目)にある久々知の氏神。近世には諏訪大明神・妙見大菩薩・牛頭天王〔ごずてんのう〕の相殿で、一般には久々知妙見として知られ、近松門左衛門ゆかりの広済寺と一体であった。当時芸能人や商人の間では妙見信仰が盛んで、近松が広済寺を信仰したのも妙見信仰の影響があったと考えられる。「明治12年神社明細帳」(『地域史研究』第6巻第3号)には、祭神は建速須佐男神〔たけはやすさのおのかみ〕・建御名方神〔たけみなかたのかみ〕、境内社八幡神社・稲荷神社とある。 


近松公園は約2ヘクタールに池や、せせらぎなどを配した回遊式の日本庭園で、四季折々の風情が楽しめます。


広済寺にある近松門左衛門の墓所
 広済寺境内には、高さ約48cmの緑泥片岩の自然石の近松の墓(国指定史跡)があります。表には近松と妻の法名(戒名)が並んで刻まれているのが特徴です。


広済寺
 尼崎市にある日蓮宗の寺。九五七年(天徳一)多田満仲が妙見菩薩を勧請して創建したと伝え、のち荒廃。一七一四年(正徳四)日昌が堂宇を建立。近松門左衛門の墓がある。俗称、近松寺。

兵庫県尼崎市久々知1-3-28