倉掛新路碑(くらかけしんみちひ)栃木県矢板市倉掛行政区


倉掛新路碑と道供養碑
 倉掛新路碑は嘉永4年3月に建立されたもので、宇都宮藩の学者 加藤恒の製文で菊地教中の書である。道供養碑は安政3年10月に建立されたもので、上記の新路碑と共に日光北街道の旧道沿いに建てられている。(矢板市ホームページより

倉掛という地名の由来は、平安時代に八幡太郎=源義家が後三年の役(1083)で出羽国の清原氏を討つために下向した際、この地の峠で馬の鞍を松の木に掛けてしばし休憩をしたという逸話から鞍掛けの松→倉掛峠と呼ばれるようになったとのことである。
国道461号線は栃木県日光市(旧今市市)から茨城県日立市に至る一般国道である。日光北街道〜黒羽街道の通称で知られている。東北道矢板ICを出て、国道4号線を北上し、矢板市中の交差点から国道461号線(日光北街道)に入る。幸岡の信号を過ぎて1kmほどで、倉掛の入り口=旧道分岐点に達する。
旧道に入り、約200メートル位のところに、かつての日光北街道がある。入り口には小さな古い道標があるので、そこを入って行くと、民家の脇をすり抜けて車1台が通れるか通れないくらいの未舗装路が続いている。

倉掛松 3代目だそうである

2004年に東岡本の佐孝新田を訪ねたときに、倉掛新路碑を探したのだったが、この時は「日光北街道」の道路沿いにあるという矢板市の解説に従い国道461号線=日光北街道を探索したが見つけることができなかった。このことが、ずっと心に残り、いつかは再訪するという希望を持っていた。
実は、今回は矢板ICの手前、上河内SAのスマートIC出口を利用したため、矢板側でなく塩谷から目的地を目指すことになった。これは大失敗で大分遠回りをすることになったが、芭蕉の跡を尋ねてという目的があればこの経路も捨てがたい。ということで、日光北街道塩谷と矢板の国境を越えてしばらく行くと、「ドライブインたてば」がある。「たてば=立場」というのは、宿場と宿場の間にある休憩所のことだそうだ。
このドライブインの大きな駐車場の裏手に日光北街道の旧道がある。461号線を右折して細い道を入って行く。幸いこの道はアスファルト舗装がされてある。昔の旧道を探して、ゆっくりと車を進めて行く。道端のところどころに馬頭観音と刻された石が道しるべのように佇んでいる。車を停めて旧道入り口の道標ではないかいちいち確かめながら進む。
やがて、左側の山手に古い神社があり、その横に廃道のような道らしきものを発見。車を道路わきのスペースに停めて、神社に続く急坂を上がってみる。神社の内部はもぬけの殻で、ご神体のあるべき祭壇も撤去されている。廃道を挟んで、小さな広場がありそこに古い石碑が並んでいる。何か関係ある遺跡かと思って、近づいて行くと馬頭観音の一群であった。その中に1基、「熊野山」と刻まれた石碑があって、これがもしかしたらご神体かなと思った。ちょうど廃神社を背にして立っていた。
さて、特に道標らしきものは見当たらず、とりあえず廃道に分け入ってみる。しばらく人も通っていない様子で、雑草が生い茂り、かすかに轍らしきものが続いている。ここを藪漕ぎのごとくおそるおそる歩いて行く。そういえば、ブログには熊に注意!との警告があったような。大雨の後だったため、下はジュクジュクで、道をふさぐ雑草もたくさん水を含んでいる。足元を驚いた蛙やトカゲが飛び出し逃げて行く。マムシが出ないか、熊に出会わないかとドキドキだが、連れの手前怯んでいるわけには行かない。300メートルくらい進んだところで小高い場所に出る。先の廃道を眺めても石碑に行き当たるような形跡はない。これ以上踏み入るのも危険と思って、あきらめて引き返す。


熊野社、馬頭観音の石碑と廃神社
再び車で移動して行くと、視界が開け下り坂となる。坂を下り切ったところで、新道461号線に合流する。その合流点に小さく「倉掛」と記した立看板が見つかった。Uターンして200メートルくらい進むと、道端の草に隠れるようにして旧道を示す古い道標を発見。左日光、右大田原(?)と読める。旧道を示す道標の先は民家に向かっているようだ。小さな4輪駆動車であれば、入って行けそうな幅1.5mくらいの未舗装路が続き、民家の脇を上って行く。
「右日光道 従是八里 倉掛村」と刻まれている

日光側から倉掛方向に下る旧道


100mくらい進むと山に入って行く。歩いて行くと、前方から切り出した木材を運搬するトラクターがやって来る。擦れ違うには狭すぎる山道で、トラクターが道を譲ってくれる。さらに進むこと200mくらい、道の右側、小高いところに案内板(というか木標)を発見。


その両脇に古い石碑が2基ひっそりと佇んでいる。ようやく辿り着いたその場所は、紛れも無く探していた「倉掛新路碑」と「道供養碑」であった。苦労して見つけたが、矢板側から入っていれば、もっと簡単に見つかったはずだ。とにかく、目的のものに出会い、しばし記念撮影。ノートを出して文字を記録しようとしたが、少しでもじっとしていると薮蚊が集まってくる。たまらずに、デジカメに文字が写っていることを祈ってその場を退散する。この旧道は「ドライブインたてば」まで続いているはずである。「たてば」の近くに旧道の入り口があるはずであるが、そこから歩くとなると1時間くらいはかかるのであろう。入り口を発見できなかったことは、反って幸運だった。









左が道供養碑、右が倉掛新路碑

「菊地教中書之」と読める