菊池惺堂 明治元年(1868)〜昭和10年(1935)享年68歳

晋二 大橋正寿陶庵の子、母は誠子(訥庵と巻子の子)
東海銀行初代頭取となる。

東海銀行は現三菱東京UFJ銀行とは無関係。
館林四十銀行が明治11年9月「国立第四十銀行」として営業開始、その後1918年栃木四十一銀行と合併して八十一銀行(40+41=81)となり、改称して東海銀行となる。
東海銀行はその後昭和2年(1927)、第一銀行に吸収合併され、第一勧業銀行を経て、現みずほ銀行となっている。

惺堂は南画の収蔵家として中国の書画など名品を広く収集し、自らも詩書画を善くしたという。
しかし、対象8年の関東大震災に被災し、収集品のほとんどを灰燼に帰した。
震災による火災の中、中国の三大行書の1つとされる宋代 蘇軾の「寒食帖」を命の危険も顧みず猛火の中から救い出した。この名書は戦後台湾へ渡り、現在は故宮博物館に収蔵されている。

寒食帖は一時は英国人の手に渡り、日本では関東大震災、第二次大戦に遭いながらも数奇な運命を辿りついに生き延びたことでも有名な作品となっている。

到了近代,《寒食帖》的命運多舛。清咸豐十年(1860年)英法聯軍火燒圓明園,《寒食帖》險遭焚燬,旋即流落民間,為馮展雲所得,馮死後為盛伯羲密藏,盛死後被完顏樸孫購得,曾於1917年在北京書畫展覽會上展出過,受到書畫收藏界的密切關注。1918年轉傳到顏韻伯手中。當年12月19日為蘇軾生日,顏韻伯作跋記?此事本末。1922年,顏韻伯遊覽日本東京時,將《寒食帖》高價出售給日本收藏家菊池惺堂。1923年9月,日本東京大地震,菊池家遭災,所藏古代名人字畫幾乎被毀一空,當時,菊池惺堂冒著生命危險,從烈火中將《寒食帖》搶救出來,一時傳為佳話。震災之後,菊池惺堂將《寒食帖》寄藏於友人?藤虎齋中年年有餘。1924年4月,?藤虎應菊池惺堂之請,作跋以記《寒食帖》從中國輾轉遞藏至日本之大概情形。第二次世界大戰期間東京?遭美國空軍轟炸,《寒食帖》幸而無恙。
一時傳為佳話。二次世界大戰結束,王世杰先生重新購回寒食帖,捐贈給台北故宮博物院,王世杰特別在跋尾叮囑:後之人當必益加珍護也。 ??勳