書簡資料1 嘉永2年(1849)8月22日 縣六石から母上様宛

「一筆申上候、日増しに秋冷相催候得共、先以て父上様益御尊体須く御機嫌よく被為遊御座候。御目出度奉存候。次に私儀あいかはらず無恙罷居候まゝはばかりさまながら御安心可為遊候。
此間元濱町佐野屋氏の箱根湯治のよし、聞伝候まゝかくべつ里数も無之事ゆへ早速箱根へ罷越候。御両親様御安否のおもむき承り候處不相変御機嫌克く被為遊御座候よし安心仕候。且其外御地の御様子委細相知れ大安心仕候。
介司(教中)事は私居處迄遊歴にて尋ねくれ候に付、此節御地に参り委細に御話し申上候ことゝ奉存候。
扨其みぎり私へ孝兵衛(淡雅)方よりのおもむきにて縁談の話御座候に付、家居も無之ものに不似合の事坏申断候得共、親切にたってすすめ有之、孝兵衛は是迄不一通世話も相うけ居此度も別段にねんごろのすゝめに付、國元両親は勿論親類等迄右の承知御座候はゞ如何様になりとも萬事まかせ候おもむきに返事仕置候間、もし皆々様御思召も御座候はゞ右の段御申越被下候様ねがひ上候。
誠に他所にて別に相談仕候ものも無之事こまり入候。是迄書状度々さし上げ候へども一度も何れかたよりも御返事無之ゆへ、さだめてさしあげ候てはかへってあしき事かとも存候に付さし上候事は延引仕候つもりにまかり居候得供、此度の事は大切の義ゆへもだしがたく右のだん申上候。
書餘のところは定而仰の點も御相談御座候おもむき且介司(教中)もまかり出いさい申上候事と相略申候まゝ何かなさし上度奉存候得供何分遠方ゆへ不任心だに不悪御推察被為遊候様可奉願候。目出度かしく
                八月廿二日            元吉
 母上様

(宇都宮坂本八郎氏蔵 勤皇烈士 縣六石の研究31頁)

六石は嘉永2年(1849)7月23日、箱根温泉に湯治に来ていた淡雅と教中を訪ねて清談の2日を送り、更に教中と二人連れ立って伊豆の海山を跋渉すること数日に及んだが、この時教中は親しく六石の居宅を訪れていることも、この書状によって知ることができる。またこの書簡によって淡雅翁を箱根に尋ねた消息も明らかになった。
この書簡は六石から、その母譽子(いよこ、入江氏)に宛てた手紙である。