塚田歴史伝説館

塚田家は、江戸後期から巴波川の船運を活かし、木材回漕問屋を営んできた豪商で、巴波川沿いに120mに及び巡らされた黒塀と白壁土蔵は栃木市を代表する景観となっています。

 2007年7月19日   
蔵の街栃木と太平山
栃木市は、関東平野の北部・栃木県の中南部に位置し、市の北部は山並みをなし、東南部は関東平野に広がります。江戸時代は利根川の支流である巴波川(うずまがわ)の水運を利用して、江戸との交易の集散地として繁栄した。宇都宮や小山から江戸に向かう旅程においても、日光街道を徒歩で行き来するほか、栃木から船で江戸に出る交通も利用された。
現在も当時を偲ばせる蔵屋敷や土蔵が保存され、独特の雰囲気を醸し出している「蔵の街」である。

太平山は栃木市の北にあり、関東平野の北縁をなしている。戦国時代の永禄から天正年間(1560〜1578)にかけて、越後の上杉謙信はたびたび関東へ出陣し、北条氏康と戦い、関東に進出を図った。このとき、大平山上に陣を構えたとき、山上から関東平野を見下ろし、広大なこの地に野望を燃やしたとか。太平山の展望台は「謙信平」と名付けられている。
水戸脱藩の天狗党は、日光山へ詣でたあと、この大平山に約2ヵ月間滞在したという。ここで同士を糾合し、各藩の阻止線を破りながら日本海へ抜け、福井に至って万事窮し降伏、首謀者たちは処刑された。



謙信平展望台
大平山謙信平展望台から関東平野を望む。
謙信が驚いたという平野の広さ、確かに広い!
そして、平野を海に見立てて、ところどころに浮かぶ小さな山や丘は「陸の松島」と呼ばれているそうである。