◇赤とんぼ 2

三木露風作詞、山田耕筰作曲作「赤とんぼ」の歌詞と旋律について。

夕やけ小やけの 赤とんぼ
負(お)われて見たのは いつの日か
山の畑で 桑の実を
小かごにつんだは まぼろしか

十五で姐(ねえ)やは 嫁にゆき
お里のたよりも 絶えはてた

夕やけ小やけの 赤とんぼ
とまっているよ 竿の先

この詩は三木露風が子供時代を思い出して作ったものである。
子供時代の露風が姐やに背負われて赤とんぼを見たのだが、
赤とんぼに「追われてみた」と思っている人がかなりいる。
そして、姐やはお姉さんではなく、子守娘である。
「十五で姐やは・・」の部分では、「十五歳で嫁に行くのはおかしい、これは人身売買を歌った詩である」というとんでもない説があったが、これは戦前であるから女性は十五歳で結婚できたのであるからボツ。
背負っていたのは母親、という説もあるが、これは三木露風が「姐やだ」とか書き残しているので解決。
「お里」は露風の実家なのか、姐やの実家なのかこれも意見の分かれるところだが、とりあえず姐やの実家にしておこう。
(いい加減!)
「夕焼け小焼け」の「小(こ)」だが、これは単純に語調を整える意味と、夕焼けから暗くなってしまうまでの間、少し夕焼け、というような意味合いであろう。

「夕焼け こ焼けで
 日が暮れて 
  山のお寺の鐘が鳴る」
という歌を思い出せばよい。

三木露風がこの作品を書いたのは、彼が、北海道のトラピスト修道院に講師として赴任(1920〜24)した時代だとされている。トラピスト修道院に舞う赤とんぼを見て思いついたと、本人が書いている。

「赤とんぼ」を見たのは何時の頃だったかな?から始まる一番から三番までは幼い頃の回想である。
四番の「竿」は釣り竿と解釈するのが普通だが、回想しているうち、ふと現実にもどったら作物を支える棒に赤とんぼがとまっていた。
というのが悪魔の解釈である。
(多分違うでしょう)

さて、山田耕筰の旋律の話である。
彼は旋律と日本語のアクセントを一致させようとした最初の人とされている。そして最初の試みが大正十四年の「からたちの花」だとされている。ただしほんとうは、その五年前に本居長世の「お山の大将」がその最初の試みなのだそうだ。「からたちの花」がたいへん著名で、しかも山田耕筰が「オレがはじめてやった」吹聴するので、そっちに名誉を奪われてしまったらしい。 (高島俊男『お言葉ですが』・文芸春秋)

いずれにしても「赤とんぼ」はやはりきちんと耕筰流に旋律とアクセントが一致している。
が、よく言われるのは

かとんぼ  はおかしい
とんぼ
の筈である。これは團伊玖磨が,直接生存中の山田耕筰に質問したことがあり、これは所謂江戸っ子のアクセントである。と自信をもって答えたという。実際、東京の下町にはこのアクセントがずっと残っていたらしい。
ただし、このせいで3番では

十五でねえやはめに行き

になってしまった。これでは「夜目」である。
難しいものだ。

※参考:全国童謡・唱歌人気ランキング・全国十傑:@赤トンボA故郷B夕焼けこ焼けC朧月夜D月の砂漠Eみかんのの花咲く丘F荒城の月G七つの子H春の小川I浜辺の歌 (平成元年NHK日本の歌ふるさとの歌百選:講談社刊)




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