◇ 音楽は人間の行為である

「楽聖」とよばれるベートーベンさんのお言葉。

もっとも、「楽聖」などと呼ぶのはベートーベン好きの日本だけであろうが。

悪魔はこのベートーベンが苦手である。彼の作品を聞いていると、あの苦虫をかみ潰している顔をつい頭に思い浮び、それからはもう音楽を楽しむ雰囲気が消えてしまう。
彼が車のセールスマンになったら多分、一台も売れないであろう。
もっとも、青年時代、音楽家にとって命より大切(?)な聴力に異常をきたしノイローゼになる。あの顔で結構、数多くの女性を愛したが結局うまくいかず生涯独身に終わった。というようなエピソードからはあの顔も無理からぬところかもしれない。
(あの顔だから、振られた。ともいえるが・・・)

ベートーベンを敬愛した、ロマン・ロランの代表作『ジャン・クリストフ』の主人公はベートーベン(と自分自身)をモデルにしたと言われている。
また、『ベートーベンの生涯』のなかで彼は
「私は思想か力によって成功した人々を英雄とは呼ばない。心によって偉大であった人々だけを英雄と呼ぶ。人格が偉大でないところに、偉大な人間はいない。成功はわれわれにとって重大なことではない。重要なのは、偉大であることであり、偉大に見えることではない」
とベートーベンの偉大さを讃えている。
いかにも晩年、反戦反ファシズムの立場から共産主義への傾斜を深めていて行った、理想主義者的文章である。

「理想主義者とはバラを嗅いでみてその香りに酔って,キャベツよりおいしいスープを作ることが出来ると早合点する者である」
  ーユダヤのことわざ
と突っ込みを入れたくなる。

という訳で、以下のベートベンのお言葉に面白いモンはない。
(真面目な人にはウケル?)

「苦悩を突き抜け歓喜に至れ」

私はこれまで、五線紙に、
 いくつかの音符を書き付けただけのような気がする」

「私は善良よりほかに卓越性のあかしを認めない」

「諸君、喝采したまえ。喜劇は終わった」
  (ベートーベン最後のことば)

日本人は本当にベートーベンが好きである(作品を聞いているかどうか別として)。
今年も年末には「交響曲第九番 合唱つき」が各地で演奏されるであろう。
これもまた、日本だけの光景である。





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