池田晶子さんが(2007.2.23)亡くなった。
彼女の週刊誌でのコラム「人間自身」(3月15日)が絶筆となった。
(入院中の病室で書いたという)
その題名が「墓碑銘」
以下その要約である。
「『墓碑銘』と聞いて思い出す逸話がある。
古代ローマだっかはっきりしないが、向こうには墓にいろいろな
書き物を残す習慣がある。死後に他人が書いたものか、本人が
生前に言いつけておいたものかは定かではない。
散歩代わりにお墓ウヲッチング、人々がそれを読みながら散策する
という行為はある意味究極の楽しみと言えるかも知れない。
人生つまり、その人間の最終形がそこに刻印されている。
人々は、記された言葉から人物を想像したり、感心したりしながら
読んでくる。
と、いきなり、こんな墓碑銘が刻まれているのを人は読む。
『次はお前だ』」。
すごいね。自分が死ぬ間際にこんな文章を書くなんて。
では、本人(池田嬢)は自分の墓碑になんと書くか。
「さて死んだのは誰なのか」
だそうだ。
池田晶子も書いているが、墓碑銘となるとこの時とばかりかっこいいことを書くものである。
「友よ、願わくば
ここに埋められし遺骸を あばくことなかれ
この石に触れざる者に幸いあれ
我が骨を動かすものに災いあれ」
ーウイリアム・シェイクスピア(1564〜1616)英国の劇作家。
「自分の墓碑銘は
<作家、そしてランナー。
少なくとも最後まで歩かなかった>
としてほしい」
ー村上春樹 (走ることについて語るときに僕の語ること)
こんなのは嫌だね。
でも、なかには愉快なものもある。
医師リチャードの墓
「ここに医師リチャードが眠る
この霊園に眠る死者の半分は彼の患者だった」
けちん坊の墓
「ここに眠る男は薬代のために
小銭を出すのを渋り、そして命を失った
彼にもう一度生き返ってほしいと思うが
そしたら彼は葬儀代がいくらかかるか
心配することだろう」
(http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/200007.htmlより)
最後に先日(2007.3.27)亡くなった植木等氏のことば。
これを墓碑銘にしたらどうだろう。
「俺、死ぬときのセリフは決まってるんだ。
『お呼びでない』。
それで最後にガッハッハッハと大笑いして死にたいんだけど」
(92年1月、雑誌「ソワレ」から)
最後に、北杜夫氏。
私は墓なんか要らないが、万一作るのだったら、どこか絶海の
孤島を選びたい。 --その墓碑銘
「幻の旅行家、どくとるマンボウ、ここに眠る。
彼は自宅の階段を上り下りするしかなにもしなかった」。
(どくとるマンボウ途中下車より)
「ゲーテは、人は各種各様の旅をして、結局、自分が持っていただけの
ものだけも持って帰る、といった。この言葉には真理がある。私も、
どんな皺クチャになっても、はじめ持って出たパンツは持って帰る。
またひとつ墓碑銘ができた。
『パンツだけは持って帰った男、ここに眠る』」
(同上)

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