◇画は一瞥で見る。書物は一回しか読めない。音楽は一回しか聞けないのだ

「たくましいフンボルト寒流が沖で白い霧をたて、灼熱の白昼光がみなぎる砂漠で、雲上の戴冠式を思わせるこの曲は凛々としているのにまったくおしつけがましくなく、威風堂堂としているのに花のように自身であることのに満足しきって、美も絢爛も整序も意識していない。アマゾン河口の堀立小屋のひしめく貧村で聞いた『アパッショナータ』は一瞬の一瞥の一切全であったが、この思いがけない41番は何週間も毎日、それもひっきりなしに繰りかえし繰りかえし聞いたのについに背に疼痛をおぼえることがなかった。
もう二度とこの経験と驚愕と喜びに出会うことはあるまい。東京で聞いても、音楽会で聞いても、この一回はけっして蘇生されることはあるまい。瞬間は不意にやってきてすわりこみ、瞬後にたって去った。画は一瞥で見る。書物は一回しか読めない。音楽は一回しか聞けないのだ。 神童の顔は見えたとたんに消えた」
       -開高 健(夜と陽炎 耳の物語)より

*悪魔の注:文章中の「41番」とは、「モーツアルトの交響曲41番ジュピター」のこと。
  神童とは勿論モーツアルトのことである。




アクセスカウンター