東洋の孫子に対し西洋の大戦略家クラウゼウィッツの著作「戦争論」での言葉である。
この戦争論はプロイセン(後のドイツ)の参謀であったクラウゼウィッツがナポレオンにこてんぱんにやられて壊滅状態になった国の状態を見、ナポレオンの戦略を研究し、完成させた兵法書である。それは徹底的なヨーロッピアンリアリズムに徹した一つ一つの言葉が冷酷であり、現実的である。
我が日本陸軍(第二次大戦時)にも「「統帥綱領」というすぐれた兵法書があり、将校および参謀用に統帥(親分)の大綱を説いたものだが、「戦争論」とでは内容は比較にならない。
こんなものを国家機密にしていたところがバカである。
戦争論を日本に紹介したのは森鴎外だといわれている。そして旧陸軍はドイツの影響・指導を受けていたのだから当然この「統帥綱領」も「戦争論」を参考にしているのだが、本当はそんなことは不要だったのである。
戦争と戦略について・・・
「平和とは他の手段をもってする戦争の継続にすぎない」
ーレーニン
「中立国は潜在的な敵である。こちらが取らねば、必ず敵がとる」
ーレーニン
「あらゆる手を尽くして戦いを回避せよ。だがやむなく戦争に突入した場合
は、あらゆる手を尽くして戦え」
ーマッカーサー元帥
「良い戦争とか悪い平和という物は決して存在しなかった」
ーギボン
「日本軍はバカだった、とくに将校が。彼らはある作戦が一度でも成功す
ると、次に何度失敗しても最初の作戦を変更しないのだ」
ー戦後イギリスの将校のことば
「敵の戦闘力の破壊という戦争本来の手段をなるべく使わないですまそ
うとする戦術は誤りである。しかし、敵の戦闘力を直接破壊することだけ
が戦略ではない」
ー孫子
「戦略の失敗は戦術で補えない。戦術の失敗は戦闘で補えない」
ー作者不詳
「統帥は方向を示し後方を準備することである」
-統帥綱領
(でも、日本軍は後方を準備することはなかった)
「戦争には奇跡がつきものだ、狂気のなかでは人間は異常な能力を示す
ことがある。平和なときにそれを発揮できなのは残念だ。そうすれば戦
争も避けられるのに」
ー映画「ナバロンの要塞」より 和田誠著『お楽しみはこれからだ2』
以下、戦争論より・・・
「政治は目的を決め、戦争はこれを達成する」
「理論は戦場まで持ち込むものではない」
「開戦の判断を誤らないのは天才だけにできることで、たんなる
理論的計算では不可能である」
「戦略とは、戦争の目的を達成するために諸戦闘を運用すること
である。そして戦闘運用に関しては、その成功の可能性および
戦闘力発揮のために最も重要な役割をなす理性力と感情力に
ついて十分の認識を持たねばならない」
「戦争においては、個々の戦闘の得失だけを論じてはならない。
最終の総和のみが、個々の戦闘の得失を決定する。すなわち
栄冠は最後の勝利者に与えられるもので、途中の得点の総和
が敵に勝っていても、勝利者にはなれるとは限らない」
「我が意思を敵に押しつけることが戦争の目的であり、この目的
を達成する手段として、敵の抵抗力を粉砕することが戦争行為
の目標である」
「地位が進につれ、自分の一身を犠牲にする必要は少なくなり、
そのかわりに、他人の他人の生命の保存と全軍の安泰につい
ての義務が切実になる」
「目的はバリ」
「目標はフランス軍」
*戦争論については大橋武夫「クラウゼウィック兵法・マネジメント社」より引用した

 
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