かってききし 禅の教えの床につき はるかに遠き 我をはかなむ 

経団連の会長を長く務め、財界の大立て者だった石坂泰三氏の和歌である。
この和歌の意味は、「禅を長いこと勉強して、悟りを開いたつもりでいたが、いざ、自分が死の床についたときにはそれの教えも何の役に立たず、ありゃ一体なんだったのか。誠に情けないものだ」
といったところだろう。(氏は和歌の名手でもあった)

石坂氏のことは悪魔でも笑えない。氏が正直なだけで誰しもそうであるはずだ。いや氏ですらそうなのである。仏教の高僧が入院し、ガンの手術をするという前日の夜、こっそり病院から脱走したという実話もある。

「人は適当の時期に去りゆくのも、またひとつの意義ある社会奉仕でなければならぬ」と言ったのは、元老山県有朋が亡くなったときの石橋湛山氏で、この言葉も凄いがご自分の番になった時は果たしてなんと言えるのやら・・・・

「我々が生きている間は死は来ない.死がくるときはには我々はもはや生きていない」
        ー エピクロス『断片』

「死はあらゆるものを平等にする」
          ー クロディアヌス

「人間は初めて呼吸した瞬間に死すべき素質を受けとるのだ」
         ーポープ 『人間論』

「人間は死ぬと死体を虫に食べられてしまう.
 しかし,生きていても心配に食べられてしまうことがある」
         ーユダヤのことわざ

「われわれ全てが死を恐れるのは、まだその時でないのをわかっているからだ」 
         ーメチニコフ                                    

「死には恐怖がつきものだ、だが今の私には恐怖がない。したがって私は死なない」
         ー映画「影の軍隊」より

「我々は泣き叫びながら生まれ,苦しみながら生き,失望して死ぬ」
         ーフラー(英国・神学者)

「死は恐いが、私に生はない」
        ーフランケンシュタイン男爵・米映画「フランケンシュタインの花嫁」より

「命は与えられ、また奪われるものです」
         ー米映画「レナードの朝」での看護婦のせりふ

「死を怖がらないで。死も生の一部だから」
         ー米映画「フォレストガンプ」母親が主人公に言うせりふ。

「人間の死を悲しんではいけない。誕生こそを悲しむべきである」         
         ーモンテスキュー  

「死は人間にとって最後の道であり、最後の未来だ」
         ージャンケレヴィッチ(フランス・哲学者)

「死なんかてあるものか、ただ僕が死んでゆくのだ」
         ーアンドレ・マルロー「王道」より

「やがて来む日を思いつつ目覚めてはいかにすべきか我われを知らず」
          - 石坂泰三

「人は一度しか死ねない。
 しかも、永久にだ」
          ーモリエール

「江戸末期に博多の聖福寺の住職を務めた仙高ニいう名僧がいました。
 死に際、弟子たちから最後の言葉を求められ、
 『死にとうない』と言った。『ご冗談でなく、本当のことを』と再び求められると
 『ほんまに、ほんまに、死にとうない』と言ったそうです。
 痛ければ『いた〜い、いたい』と叫べばよい。
 悲しかったら、あんあん泣いたらいいんです。死ぬ間際まで、格好いい言葉を
 残そうなんて色気を出すことはない。
 生きるときは精いっぱい生きて、死ぬときはお任せする。
 それが禅の生き方です」
         ー松原泰道 禅僧 (2007.12.14毎日新聞夕刊 100歳)


それぞれに凄い。味わい深い凄すぎることばの数々である。

*映画のセリフについては和田誠氏作「お楽しみはこれからだ」から引
  用。
(勿論この本の題名も映画の中のセリフからいただいたものである)





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