◇ 力は正義なり

元々はギリシャの ことわざで、プラトンの著書「国家」の中にある「正しい事とは強い者の利益にほかならない」という一 節に由来するという。
そして、この言葉の意味は我が国の認識とは異なる。
すなわち、「正しい者には神が必ず味方する。したがって戦いに勝つものは正しい」
というのが西欧流の解釈である。
そして、単純明快、西部劇の世界である。
だから、戦争に負けた日本は悪であり、東京裁判はインチキだといくらいったところで始まらないのだ。

ドイツには「力は正義の先に立つ」という格言があるらしいが、こちらの方が、正直である。
リンカーンはある時、「これまでの歴史では,力は正義といわれてきたが、今やそれを逆にして正義は力と言うべき時代だ」と言ったが残念ながら、そうなっていないのは明らかである。

フレデリック・フォーサイスは著書「戦争の犬たち」のなかで、傭兵と彼の彼女との会話として次のように書いている。

「あたしたちはヒトラーに勝ったじゃない。正しいことをして、勝ったのよ」
「ソヴィエトとイギリスとアメリカが、ヒトラーより多くの大砲と戦車と飛行機と船を持っていたから、勝ったんだ。理由はそれだけだよ。ヒトラーのほうがより多く持っていたら、彼が勝っただろう。
そして歴史は、彼が正しくて、われわれがまちがっていたと書きしるしたことだろう。勝てぼ官軍さ。いつかこんな椅言を聞いたことがあるよ。
『神はより強い部隊の味方をする』
これは富める者と強い者、皮肉屋とお人好しの福音だ。政治家はそれを信じているし、いわゆる高級紙はそれを説く。体制は強い部隊の味方なんだ。そもそも最初に強い部隊をつくり、それに武器を与えたのは、体制だからね。
ところが、高級紙の読者は、ー神がいるとしての話だがーは残酪非情の力より、真実と正義と憐れみに与している、真実と正義は弱い部隊にあるかもしれない、なんてことを夢にも考えないんだな。
まあ考えたってどうにもなりゃしないが。強い部隊はいつも勝ち、"まじめ"なマスコミはいつもそれを容認し、人はいつもそれを信じるんだ」






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