◇ユダヤ人は永遠にユダヤ人である

ラビ・セイモア・スウィゲル博士のお言葉。

何のことやらワカラン言葉だが、これはユダヤ人とはナンゾやということについて述べたものである。

日本人であれば、アメリカに移住して市民権を取ればアメリカ人となる。ところが元々「国家」がなかったユダヤ人にはこの常識は通用しない。ユダヤ人はどこにいようが(アメリカにいようが、ロシア・ハンガリー・ドイツに住んでいようが)ユダヤ人なのである。
ユダヤ人の定義は「ユダヤ教信者」だという説もあるが、無宗教化が進むのはユダヤ人も同じでこれは現在では通用しない。「ユダヤ人としての意識を持っている人」という定義もあるが
これではいくら何でも曖昧すぎる。
現在もっとも一般的な定義とされるのは、ユダヤ人とは「ユダヤ人の母親から生まれた人、またはユダヤ教に改宗を認められた人」というのが、イスラエルの帰還法(ユダヤ人と認め、国籍を与える法律)に規定されたユダヤ人である。
これによれば、悪魔でもユダヤ教に改宗すれば(あり得ないが)ユダヤ人になれるのである。

ユダヤ人が何故優秀なのかについては色々の記述がある。それに共通しているのは彼らの勉強熱心さである。土地もない、確たる職業に就けなかったユダヤ人にとっては自らの頭脳を鍛えるしかなかった。そのために「タムルード」を幼少の頃から繰り返し学習したのである。ユダヤ人は三歳になると、父親がその子を膝に乗せてタムルードを読んで聞かせる。読み終わると本の表紙に蜂蜜を一滴たらし、子供に舐めさせる。こうして勉強に慣れ親しむ習慣が身に付くというのだ。
ユダヤ人の知恵が集積された「タムルード」は、聖書に次ぐユダヤ教「第2の聖典」である。

ある二人のユダヤ人の会話
「タムルードって何?」
「タムルードに出てくる話をしよう。
 二人の男の子が夏休みに家の煙突の掃除をした。一人は顔が真っ黒
 になって煙突から降りてきた。もう一人は、顔にまったく煤煙を
 つけずきれいな顔で降りてきた。君はどちらの男の子が顔を洗うと
 考えるか」
「そりゃ、真っ黒になった子に決まってる」
「タムルードの教えは違う。
 顔の汚ない子は相手のきれいな顔を見て、おれの顔はきれいだと思う。
 きれいな顔をした子は、相手の汚ない顔を見て、自分も汚ないと思う.
 だから、きれいな顔をした子が洗いに行く。
 というのがタムルードの考え方。
 もう一度聞く。
 二人の男の子が煙突掃除をして、一人の子は顔が真っ黒、一人の子は
 きれいな顔をして降りてきた。顔を洗いに行くのはどちらか?」
「それはきれいな顔をした子さ」
「二人が煙突掃除をやり、片方だけ綺麗な筈はない。
 これがタムルードの教えさ」

これはジョークのようだがジョークではない。
ユダヤ人はタムルードをもとに、こうして議論を繰り返し、真理を探し、
頭を鍛えるのである。






アクセスカウンター
 [カウンター]