リンカーンのこの言葉は「ゲティスバーグ」での演説で有名になったものである。
このゲティスバーグが南北戦争勃発後、最大の激戦地となったことから、その戦争のさなかに戦没者のため,この地に国立墓地を建設することになった。その建設にあたって、
リンカーン大統領は来賓の演説に続いて数分の短い演説を行い、アメリカ建国の精神を説いたのである。その演説の最後の部分が有名な「人民による・・・」である。その演説時間は3分とも10分とも言われているが、全文が残っているのでざっと字数を計算したが10分はどう見てもかからない量である。いずれにしても大変短いものであったのは間違いない。
彼の前に演説したのは雄弁家で有名なエドワード・エベレット(上院議員・州知事・国務大臣等を歴任。詩人でもある)で、美文調の演説で何と2時間になんなんとするものであったという。
乾杯の音頭を指名され、皆がコップ持ってるの、ビールがぬるくなるまでしゃべる奴がけっこういる。
でも、彼の演説はかなり受けたようだ。
そして、リンカーン大統領の演説が終わった後、参列者による拍手はまばら。要するに全然受けなかった。また、次の日の有力新聞も彼の演説を酷評した。
それが何故後に有名になったかの経過は明らかでない。
が、ゲティスバーグの演説後、かのエベレット氏とンカーン大統領が交わした書簡が残っている。
「大統領閣下がわずか2分で到達されたこの式典の核心に、
私が2時間かけてようやく近づくことができたと考えること
が出来たらうれしいかぎりです」
これに対して、リンカーンは、
「あなたのご指摘で、私の小さな演説が必ずしも失敗ではな
かったと知り、安心しました」と返事を書いている。
エベット氏がリンカーン大統領の演説を評価した最初の人間かも知れない。
(資料によって、リンカーンの演説時間が2分、3分、10分といろいろ変わるのが面白い)
ただ、この「人民による・・」のフレーズはリンカーンのオリジナルでなく、バーカーという牧師の著作からいただいたものである。
「一時間の演説なら即座に出来る.
20分のものは2時間の準備が必要だ.
5分のだと一晩構想を練らねばならない」
ーウィルソン大統領
ウィルソン大統領は雄弁家で有名である。その氏でも短い演説、スピーチほど難しいと言っているのである。
「むしろ短くせよ、一言でいえ」
ー 山本夏彦氏「良心的」
「?」 「!」
これはビクトル・ユーゴが自分の出版した本の売れ行きが心配で問い合わせた本屋との手紙でのやりとりである。
これ以上短いものはない。
翻訳すると「売れてるか?」 「凄い!」と言ったところ。
まさに省略の極致である。
「昭和47年正月南極探検隊の昭和基地で全員をシュンとさせたのは、ある
隊員の国元の夫人からきた「アナタ」というたった一語の電文であった。
<消息は一行にしてことたらん、思いは文字に書きがたきかな> 」
ー伊藤肇
悪魔だって負けていない。
「飯いらん」
ー悪魔がカミサンにかける電話

[カウンター]
|