◇少年よ大志を抱け

この有名なことばを知らない人はいないでしょう。
ただし、日本国限定ではあるが。
札幌農学校(現北海道大学)の創設のおりに、アメリカからやって来たクラーク教頭(大佐)が日本を去る時に、教え子たちに贈った言葉である。

この言葉がこのように広まったのは,昭和39.3.16の朝日新聞「天声人語」欄によるものと思われる。
また記録の上で最初にあらわれたのは明治27予科生徒安東幾三郎一(のち日伯拓植取締役)が農学校の学芸会機関誌「恵林」に掲載した「ウイリアム・エス・クラーク」なる文章中である。その13号に安東は書いている。
「暫くにして彼悠々として再び馬に跨り,学生を顧
 みて叫んで日く,
 『小供等よ,此老人の如く大望に
  あれ』 (Boys,be ambitious like this old man)と。
 一鞭を加へ塵埃を蹴て去りぬ」
(北海道大学図書館報『楡蔭』No.29より転載 )

ホンマカイナ!
西部劇でもあるまいし・・・・

このお言葉をありがたがっているのは日本人だけと冒頭に書いたが、要はクラーク氏は日本以外(出生地アメリカを含む)ではほとんど無名である。

敬虔なクリスチャンでなかなかの人物であったし、学者としても立派なものであったらしい。
が、学者でありながら突然南北戦争に兵士として参加し、かなり活躍をしたものの、我が意が通らずとなると終戦前に除隊してしまったり、彼が創設期から学長をつとめていたマサチュセッツ農科大学が経営不振となると、さっさと辞任するなど、どうもあまり一貫性のある人物とは思いにくい。
札幌農学校の任期もわずか8ヶ月。とても重要な仕事をやってのけるにはあまりにも短い期間である(契約期間が1年との事なので、これはクラークのせいではないが)。
教え子として、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾など大変な人物がおり、これがクラーク人気の一つかもしれない。が、彼らは二期生だからクラークに直接指導を受けたわけではない。
それにも関わらず、未だにこの言葉と大学内に「銅像」が残り、いまだに多くの観光客がそこを訪れのは日本人の白人コンプレックスによるものだとは思いたくないが、どうにも情けない気がする。

もうすこし、クラークの話を続けると・・・

日本政府の招聘により日本に来たのが1874年6月のこと。
当時、マサチュセッツ農科大学の学長だった彼は、「二年間」という日本政府からの滞在要請に対し、「他の人が二年でやることを、一年でやってみせる」
と自信満々の返答をしている。
そして、札幌農学校のでの成果はそれなりのモノがあったようだが、アメリカでの評価は本人の意に反しゼロであった。
アメリカに帰国したクラークは元の大学に戻るが、まもなく大学が財政難に陥ったことと「洋上大学」という壮大(?)な教育事業の具体化のために学長を退任することになる。
しかし、結局この事業は企画倒れで日の目を見ることがなかった。
クラークの第一の挫折である。
その後、クラークは怪しげな前歴を持つパートナー(ボスウェル氏)と組み、「クラーク・ボスウェル会社」を設立する。
この会社は、鉱山を管理経営し、鉱山株の売買を取り扱うというものであった。
当時のクラークは定期的収入が皆無の状態で、金銭的にかなり困窮していたようだ。
この投機的事業は一時はかなりの規模に発展したモノの、結果的には倒産するという大失敗に終わる。
そして、出資者に金を返却できず、「詐欺の疑い」で裁判沙汰になるという大事件に発展した。
また身内からも訴訟を起こされたりという騒ぎにもなった。
この失敗で、彼は信用と財産を一挙に失い、同時に訴訟等に関係した精神的ショックと疲労から病に倒れ、その約四年後にこの世を去る。

学者でありながら活動的で野心家であったクラークの良い面が出たのが、北海道時代であったとは言えるであろうが、「偉大」な人では決してなかった。
「Boys,be ambitious 」のambitiousは「野心」というように訳される事もある。
この言葉は、クラークが自分自身に「言い」、そして自分自身で「実践」し、そして「失敗」し死んだのである。

と言うわけで、「クラークとはなんぞや」というところだが、実は日本で一つだけ偉大なことをやってのけた。
それは「カレーライス」である。
え!、カレーライス?
とビックリするが、なんと、彼が「カレーライス」を日本に初めて紹介した人物であった。
札幌農学校の寮生の栄養状態が極めて悪いのを見て、彼はカレーライス(当時はライスカレーか?)を食べるよう奨励したのである。

「少年よ、カレーライスを食え」
  
クラークは本当はこういったのである(?)。


*「Boys,be ambitious in God」といったという説もある(特にキリスト教協会)が、
  これはウソ。
 「Boys,be ambitous! Be ambitious not for money or for
   selfish aggrandizement,…
  <青年よ、大志をもて。それは金銭や我欲のためにではなく、また人呼んで
  名声という空しいもののためであってもならない…>
   64・3・16「天声人語」より
  というのもあるが、これは、クラークが言ったのとは別物である。
  もちろん、「like this okd man」自体すらおかしい。クラークはその時まだ50歳だった。
  野心家のクラークが自分を「old man」と言うはずはないからである。
  大体において、当時の農学校の英語力は極めてお粗末で、クラークの言ったことを
  きちんと聞き取れていたかどうかすら怪しい、とか。
  見送りに来た学生たちがあまりにも落ち込んでいたので、
  「もっと、元気出せよ」
  という意味で言ったとか後は例によって諸説紛々。
  これらについては前述の「北海道大学図書館報『楡蔭』No.29」が極めて冷静に
  記述している
  が、どういったかなど、本当はどうでも良いことである。

参考文献:「W・S・クラーク その栄光と挫折」 ジョン・エム・マキ  
       ー北海道大学図書刊行会





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