◇ ジャズとかクラシックとかジャンルは関係ない。
  この世にある音楽は良い音楽か悪い音楽だけだ

「ソフィスティケイテッド・レディ」,「サテン・ドール」など、数々の名曲を残したジャズ界の巨匠、デューク・エリントンの言葉である。
彼自身もこの言葉通り、ジャズプレーヤは当然のこと、クラシック演奏家からも愛された、ジャンルを越えた巨人であった。

技術は進歩しても、「日本のうた」が進歩しているとは思いにくい。
戦後の歌謡曲と今風のポップスとの決定的違いは歌詞(ことば)の量である。こんなアホな研究はなされていないが、多分、現在の方が二,四倍は多いだろう。TVのニュース番組での、アナウンサーが原稿を読むスピードも同様に昔に比べると格段に早いようだ(=時間あたりのことばの量が増えた)。それに関連してか、両者ともアクセントの乱れがヒドイ。
ラマとかカレシが普通になってきている。

歌でいうと

せんそうをしらないこどもたち (北山修作詞・杉田二郎作曲)
 
などと歌われると大変気持ち悪い。
♪せんそうが当然正しい。           
          
悪魔の知っている限りでは、小椋佳・井上陽水・さだまさし・谷村新司などは比較的きちんとアクセントと旋律を一致させている。

♪目を閉じて 何も見えず
  哀しくて 目を開ければ
  こうに 向かう道より
  ほかに 見えるものはなし
  嗚呼砕け散る 運命(さだめ)の星たちよ
  せめて密やかに この身を照らせよ
  我は行く 蒼白き頬のままで
  我は行く さらば昴よ
         (昴・谷村新司作詞・作曲)
こうの部分だけおかしいが、大して気になることもない。

めでもしあたら てきなことね
               (作者不明。忘れた)
なんてことになると本当に助けてほしい。

小室哲哉などJポップ系の曲は日本語の部分になるとほとんどこんな調子である。
すべて一致させるのは無理だし、あまり窮屈に考えることももないのだが、あまり無視されると無国籍料理を食わされているようで気味がわるいのだ。

本当は、アクセントと旋律を一致させよう運動(?)の創始者であるとされる山田耕筰氏の「赤とんぼ」についても書きたかったのだが、これは別の機会にゆずる。

「演歌とかフォークとかJポップとかジャンルは関係ない。
 この日本の音楽はすべて悪い音楽だ」
          ー悪魔
などということにならないことを祈る。





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