◇ 不安の強さというものは情報量が分母である

南淵明宏(心臓外科医)が紹介している名言である。

病気に関する患者の不安はその病気に対する情報量に反比例する、とも言える。
しかし、本当にそうだろうか。

マンボウこと北杜夫(この人も元、お医者さん)が紹介しているお話はまさにそれを証明しているような気がする。

主人公はある日、大英博物館へ出かけてゆく。ちょっと気分がすぐれなかったので、たぶん乾草熱だと思い、書物を借りだして、その手当をよむ。それから、なんの気なしにぺージをくると、おそろしい、悲惨な結果をもつ病気のことが書いてある。その「前駆的症状」の項を半分もよまないうちに、主人公は「おれはこいつにやられている」と考えた。
彼は恐怖のうちに凍ったようになっていたが、やがて絶望の中で、ふたたびぺージをめくり「チフス」のところを開く。すると、自分が確かにチフスにかかっていることを発見する。
どうやら、かかってから何力月も気がつかないでいたようである。それから、他にもなにか病気にやられていないかしらと、舞踏病のところを見ると、はたしてこれにもやられている。そこで、徹底的に調べようと思いたち、病気をアルファベット順に調べだす。すると、おどろくべきことがわかった。オコリにはなりかけていることが判明した。
鷲灘病は割に軽いらしかった。コレラはひどくこじれている。ジフテリヤには生れながらにかかっている。
結局、かかっていないと結論をくだすことのできる病気は、ただ一つ、膝蓋粘液腫だけであった.
    -北杜夫 「マンボウ望遠鏡」
 
単に情報量が増えたところで、不安が減るわけではない。

この主人公のような状況が続くとそれは心気症とよばれるノイローゼの一群に入れられなくてはならぬそうだ。
そしてそれがこうじると自殺することがある。とは言われることだが、これも一般例だがノイローゼは自分を大事にすることから起こる症状なので自殺するケースは少ないとされている。

では、日本での自殺者はどのくらいいるか。それは約3万人というかなりの数に上る。 
そして年代では男女とも60台以上が圧倒的に多い。
 
自殺者は鬱病の患者が多いと医学的には言われてる。
しからば、平和なときと戦争時では自殺者の数に違いはあるのだろうか。
実は、戦争時の方がはるかに自殺者は少ないというのが統計上の答えである。
鬱病は立派な病気である。病気であれば、戦争も平和も関係ないはず。
分からないものである。

最初の話に戻れば、何かの事について1%しか知らないために生じる不安と、逆に99%知っており、残りの1%を知らないがために生じる不安の大きさはどうなのだろかと考えると
”不安(?)”になる。

「不安とは現在と未来のギャップのことである.”今,ここ”の状態から心が離れて,
 未来のことで頭がいっぱいになると不安を覚えるのである.それは”舞台負け”と
 同じであり,舞台に立つ前あれこれ,これから舞台で起こり得る良きこと,悪しき
 ことなど思いめぐらして頭がいっぱいになることである」
    ー池見酉次郎

「不安とは何だろう.不安は数限りなくあるが,大きく分けて,健康や性,育児につ
 いての不安,社会生活についての不安の二つの不安は,人間の持つ欲求の二
 つの側面,生物的自己保存欲求,社会的自己保存欲求,社会的自己保存欲求
 と裏表の関係にある.
 欲求がどんなに強くても,それがなんの障害にもぶつからずみたされておれば
 不安は生じない,現実はそうはいかない.現実は障害に満ちている.
 障害にぶつかって,欲求が満たされないかもしれないと感じると,不安が生ずる
 のである.このとき,欲求が強ければつよいほど 不安も強い」
    ー 長谷川洋三

「海の航海ですれ違う船のことを考えてみよう。 初めは点のようだった船がどんど
 ん近づいてくる。それに従ってだんだん大きく見えてくる、と同時に形だとか、色も
 はっきり見えてくる。どんどん接近してくる。想像していたより随分大きな船だ、
 このままでは衝突か? と思ったのも一瞬のことで、つぎの瞬間には船はすれ違
 い、遠くへ去っていく。
 あんなに大きく見えた船も、いまはもうほとんど見えない。
 「不安」も同じである。
    ー悪魔


「無知は無敵」
   ーフランスのことわざ(多分)







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