海で隣り合っていたホタテ貝とハマグリ。
漁師に釣り上げられ、やがて料理屋へ。
ホタテ貝は身を食べられて貝殻だけになり、そこに身を料理された あの蛤が乗せられた。
「よ、どうしたい!」
とどちらからとなくいう。
古今亭志ん生の落語の枕である。
落語では「一期一会」なんて、小難しい言葉は使わない。
「縁と命があったらまた会おう」 と言っている。
縁があっても命がなければまた会うことはできない。 命だけあっても縁がなければ会えないのである。
いいですな〜、江戸落語。
しかし、落語の発祥は京都だという。
ま〜そこら辺については優れたウェブサイトが沢山あるので、それを見て貰う
として、ここでは落語の「高座」について。
高座の語源は広辞苑によると「寺院で、説法・論議などをする僧が座るための
一段高い席」とある。
難しいお説教ばかりしていても皆飽きてしまい、録に話を聞いてくれない。
そこで、坊主どもが面白おかしい話の中で、仏教の教えを説いた。
という説が有力である。
年寄りを大事にする。
お金にあまり執着してはいけない。
困った人がいたら助けてあげよう。
などなど。
だから、落語のルーツは寺院だったのである。
坊主に代わって本職の噺家が演ずるようになり、
舞台でも座布団を敷いて、その上に正座して演ずるようになったという。
それにしても、先ほどの落語の教えは現在ほど、必要かも知れない。
お後がよろしいようで。

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