異常な環境の中で異常な反応を示すのが正常人の特徴である

アウシュビッツに収容された心理学者フランクルが戦後、自らの体験を書いた有名な「夜と霧」のなかの言葉である。

「ナチスの強制収容所の職員の中には、ユダヤ人を虐殺して公舎に帰った後、モーツアルトのレコードを聴いて感動の涙を流すものもいた」                                       
と書いたのはフランクルではないが、ごく普通の人間がある環境の中に染まるととんでもない行為をすることは珍しいことでは決してない。
今この文章を書いている時(2002.5.10)に雪印食品の元幹部社員が5人逮捕されたという新聞記事が出た。「腐敗の連鎖」とは巧い表現だが、本当はそうではなく、この会社が異常な環境を作りだしており「通常の人が異常な行動をしただけ」なのである。過去の会社ぐるみの犯罪、事件を見ても全く同様であると言える。
異常な環境の中で「そいつは違う」などと言える勇気のある人間は黙殺されるか、本当に殺されるからである。

「私の日本人に対する印象は何度も変わった。日本人にはいつも驚かされる。戦前、シンガポールの日本歯科医院や商店で得た印象から、私は日本人は礼儀正しく親切だと思っていた。だが、日本兵は信じられないほど残酷で、私たちは恐怖の三年半を過ごした。この記憶を消し去ることは難しい。ところが、降伏後、日本人は模範的捕虜になり良心的で懸命に働き、シンガポールの街をきれいに清掃して去っていった」。
   ーリー・クアンユー(シンガポール上級相・日本経済新聞
                  「私の履歴書」1999.2)

「悪い政府のもとで正しくあることは危険である」
                     ーボルテール  

「狂気の定義とは『毎回毎回同じことをしていながら、
 そのたびにこんどこそちがう結果になるのではと期待
 すること』だ」
    ーネルソンデミル  「ナイトフォール」






アクセスカウンター

悪魔のことわざ