◇お前は私のものでなく 嫁ぐまで神に授かったものだ

「お前は私のものでなく
 嫁ぐまで神に授かったものだ」
   ー米映画「シティ・オブ・ジョイ(City of Joy)」より

「シティ・オブ・ジョイ」、歓喜の街とでも訳すのだろうか。
この映画の舞台の街はインドのカルカッタ。スラム街。
田舎で食えなくなり、この街に出てきた一家。
オヤジは何とか人力車の仕事にありつき、ボスに搾取されながらも家族を何とか育てる。
そして、手塩にかけた娘が結婚することになり、その結婚式前夜、無学のオヤジが娘に語り
かけたお言葉である。

親離れ、子離れできない日本人はこの映画を見るべきだ。

結婚式で泣く、カラオケで「娘」を唄って泣くオヤジ達。
誠に嘆かわしい。

同じアメリカ映画でも「花嫁の父」などという女々しい作品がヒットしたせいか、あれが父親の
典型と誤解している人が多い。

日本にはもともとそんなウェットな父親などいなかった筈だ。
(少なくとも外見は)

やはりアメリカ映画に「テキサスの五人の仲間(A Big Hand for The Little Lady)」という傑作がある。
テキサスの大金持ち5人が数年に一度、大ポーカー大会をやる。
その一人は大地主。
娘の結婚式の途中に抜けだし大会に間に合った。
試合終了後、結婚式に戻り娘の旦那になる男を部屋に呼び、金を渡してこういう。

「ウチの娘は器量も性格も救いようがなく悪い。
 いいか、その窓から逃げて、馬に乗りこの家や父親から遠く離れるのだ。
 時間を無駄にせず、広い世間を見て歩け。
 きっとどこかで本物の女性と巡り会える。善い女性と。
 真の伴侶をな」

これぞ、テキサス魂。
アメリカにもサムライがいるのだ。
 





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