◇ 馬々虎々

悪魔の尊敬する開口健氏の「花終わる闇」でみつけたことば。

昔の中国人の挨拶で、「馬のようにも見えるし、虎のようにも見える」ということ。
これを読んで、日本の「どうも・どうも」と同じだとおもった。

今日みつけた同氏の別の本を読んでいたら、やはりそのような感じのことを書いていた。


微笑して挨拶はしたものの、そのあとフツとだまってしまうのがこの時代の特徴であるのかもしれない。"どうもどうも"という言葉は何の挨拶もしたことにならない挨拶だけれど、面と向って眼を見て、そういいかわすと何やらヒトとヒトが出会った感触だけはつたわる。それすらもなかなか入手しにくい時代なのだから、これはこれで立派に機能を果しているといえる。朝、昼、晩、おかまいなしだし、季節もおかまいなしだし、長幼師弟の秩序もおかまいなし。混沌時代の.泡かもしれないけれど、まことに寛容おおらか。暖昧表現はわが国得意の生活芸術だけれど、切実の知恵でもあるのだろう。
昔の中国人もしたたかに現世で苦しめられたせいだろうか。"マーマ-フーフー"という挨拶を編みだした。漢字で書くと"馬々虎々"である。ある状況をさして、見かたによってはウマのようにも見えるしトラのようにも見えますというところだが、なかなか小憎い芸術である。わが国の"どうもどうも"や"まずまず"や"ポチボチでんナ"あたりに相当するのだが、発音がやさしいのと、その発音のユーモラスなおとぼけ気分が愛されて、西欧に移植され、辞書にも編入されるようになった。西欧人でもいささか素養のある人物ならときどきくちびるのうえで"マーマーフーフー"ところがすのをたのしみにしているのと出会うことがある。曖昧の領域のなかで息づくしかないことは多いのだし、その領域は拡大されるいっぽうなのだから、こういう知恵は尊重したいものである。
     ー開高健 『開口閉口』

「あの男は馬々虎々」といえば「いい加減なやつ」という意味。
「この料理は馬々虎々」といえば「マーマーな味」ということになる。


ちなみに、小説「花終わる闇」は「輝ける闇」、「夏の闇」に続く三部作の最終編(未完)である。






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