◇ わたし的に全然耳障りのいい生き様

日本語の乱れについて。

「全然」という言葉は日本語ではその後に否定語が続く。
「全然だめ」、「全然まずい」といった具合。
「全然」でやめれば、それは否定を意味するのである。
それが最近では「全然良い」などという人が増えてきた。

「わたし的に」は論外。

「耳障りのよい」は変。
「耳障り」ということば自体が否定語である。
「目障り」も同様。
「目障りがよい」と言わないのになぜ「耳障りがよい」という表現が使われるようになったのか不思議である。
この表現は有名な作家も誤用している。
司馬遼太郎「峠」、渡辺淳一「週刊現代の連載コラム」などである。
さすがに「耳ざわりのよい」というような表記にしていることもあるが、そこまでやるのならなぜ使うのか理解できない。

「生き様」は出現率がもっと多い。
この「ざま」は、「ざまをみろ」という表現のとおり、よい状態を表していないのでやはり間違い。
「死に様」とは言うが「生き様」とは本来言わないのである。が、NHKのベテランアナウンサーでも平気で使っているので、すでに市民権を得ているのかも知れない。
山本夏彦氏は生前、この言葉が大嫌いで、彼の雑誌社では絶対これを使わせなかった。
と息子である山本伊吾氏が語っている。

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「その『生き様』が男をも虜にする」
   ー映画 プリッツ

日本語の乱れと同様、平均的日本人の誤用の方が悪魔は気になる。
が、これはこのコラムのテーマではないのでごくあっさりと。


「役不足」という言葉もよく誤用される。これも、正反対の意味に使われるケースが多いので相手に失礼なことになる。
なにか役目を命ぜられたときに「私では役不足で・・」というが、この役は自分にとっては軽すぎるとの不満を表す表現である。

テレビ、そして新聞の文章の乱れは本当にひどい。
「ジョンレノンの恐いFBI」というのは毎日新聞に掲載された記事(97.10)のヘッドライン。
これでは「ジョンレノンがFBIを恐がっている」のか「FBIがジョンレノンを恐がっている」かが分からないではないか。

「お前の文章だって、全くヒドイ!」と言いたいだろうが、悪魔は許されるのである。
そして、悪魔の文章は「全然良い文章である」


「最近、テレビの時代劇やモーニング・ショーで『生きざま』という言葉ををしばしば耳にする。
私の知る限り『死にざま』という言葉は昔あったが、『生きざま』という言葉は日本語になかった
ように思う。
だから
『生きざま』なる言葉をテレビで聞くとオヤっと思う。そしてやがて、『生きざま』という美しくない
日本語が新しい国語辞典に掲載されることを憂えてしまう。そんなことばは美しくないからだ。
   ー遠藤周作「変わるものと変わらぬもの」
  (2012.9.10)






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