武士道とは死ぬ事と見つけたり

佐賀・鍋島藩士、山本常朝「葉隠」のなかの有名な言葉である。
が、この言葉はかなり間違った理解をされている。
「武士道といふは死ぬ事と見付けたり。
 二つ二つの場にて早く死ぬほうに片付くばかりなり」

・武士道の本質は死ぬことだ。つまり生きるか、死ぬかという二つを選択するかといえば
 早く死ぬ方を選ぶと言うことにすぎない。
と言うような意味である。

この「葉隠れ」に魅了された三島由紀夫が「葉隠入門」を書いたのは昭和42年のことである。
そして、この本を読むと「葉隠」が三島の精神の中で大きな地位を占めていたかが分かる。

先ほどの言葉の続きを書けば、
・二者択一を迫られたときに絶対に正しい方を選ぶことは難しい。人は誰でも、死ぬよりは
 生きる方がよいと言うに決まっている。
 となれば、多かれ少なかれ生きる方に理屈が多くつくことになる。
 死を選んでさえいれば、事を仕損じて死んでも犬死、気ちがいだとそしられようと、恥には
 ならない。これが武士道の精神である。
   ー三島由紀夫 「葉隠入門」

三島由紀夫は昭和45年11月25日、市ヶ谷陸上自衛隊で激文をまき、その後割腹自殺をとげた。
その後、色々な識者がの行動、精神面について分析を試みているが、悪魔に言わせれば、本当の答えは上の文章にあるのである。

事件当日の夕刊で語られた著名人の三島事件に関する第一声は次のようなものであった。

「常軌逸した行動」
    ー中曽根防衛庁長官(『朝日新聞』
「三島さんは本気だったんだなあということだ」
    ー開高健 『朝日新聞』
「こういうことは単なる事件と簡単に考えてはいけない」
    ー松本清張 『朝日新聞』
「彼は結局内面の緊張に耐えられなくなって死んだのではないか」
    ー井上光晴 『朝日新聞』
「全く不思議なことを起したものです(絶句)」
    ー有馬頼義 『毎日新聞』
「彼はこれからの七〇年代の日本の運命の予言者になるかも知れぬ
 予感がする」
    ー村上兵衛 『毎日新聞』
「文学とは全く関係のないナンセンスなことだ」
    ー山崎正和 『毎日新聞」
「天才と狂気は紙一重〉」
    ー佐藤総理大臣 『毎日新聞』
「精神日本生かすため自決予期していた」
    ー伊沢甲子麿 『読売新聞』
「今回とった行動はもとよりかれの思想にたいしても批判はあるが
 いまは何もいいたくない」
    ー石原慎太郎 『読売新聞』
「直情しすぎた行動の美学」
    ー竹山道雄 『読売新聞』

*掲載紙はいずれも東京本社最終版による。
    福島鑄郎「三島由紀夫」より。 

その後、続々と批判やら賛美の声が交錯していく。

「軽薄すぎる現代に対して、いつも怒っているところが特に好きだった。
 −しかし好意的にそう思ってもなお、私はこの事件に失望している。それ
 は本質的にすぐれた文学者であった三島なら後世に残る「愛国者のため
 のバイブル」が書けたはずだし、書くべきだったと思うからである」
    ー月刊ペン 編集長 
「・・・三島由紀夫の死は、その唐突な喜劇的ショックから、次第に神話に昇
 華していくに違いない」
   ー竹中労
「三島氏ははじめから終りまで演技に徹した生涯。
 鶴田浩二のチャンバラ、村田英雄の流行歌と次元を一にしていた」
    ー立原正秋
「現代の狂気としかいいようがない。実りがないことだった」
    ー石原慎太郎
「理解できない。永遠にわからないだろう」
    ー 福田恒存
「一流の仕事をする文士で情事が道楽であるのが媚薬の量を間違えること
 があっても別に驚くことではない」
    ー吉田健一
「なぜこんなにうろたえるのか。三島由紀夫に恩をうけっぱなしで、恩がえ
 しをしないうちに突然の死を知った」
    ー野坂昭如
「日本の地すべりをくいとめる人柱」
    ー林房雄
「インチキな平和的・民主的秩序なるものの面皮をひっぱがそうとしたのでは
 ないか。ムダ死にであることにより逆に象徴的行為としては完全に成功した」
    ーいいだもも
「可哀そうな、可哀そうな三島由紀夫」
    ー森茉莉
「彼とは文体もちがい政治思想も逆でしたが、わたしは彼の動機の
 純粋性を一回も疑ったことはなかった」 
     ー武田泰淳
「三島にさきをこされたとあわてふためく左翼ラジカリズム馬鹿と、三島につづけと
 トチ狂う右翼学生馬鹿と、生命を大切にと教訓をたれる市民主義馬鹿」
     ー吉本隆明
「まったく伜は天才的な詐欺師だと思いましたよ。私もだまされたし、
 家族の者もだまされた。みんな、こんなことになるなんて、夢にも思わなかっ
 た……」
     ー父平岡梓

「三島が言う「放将な美徳」や「純潔な頽廃」といった相反する両極の概念の
 結合は、精巧ではあるがニセモノになる」
        ー開高健(「一個の完壁な無駄」)
  *以上 嵐山光三郎「追悼の名人」より

後は、悪魔がどこかで拾い集めておいたノートから。

「数年前三島さんにロールシャッハ法による心理診断をした結果、わかったこ
 とは、三島さんの精神構造が、非現実化、非人間化への著しい傾向でした。
 これらの反応は、美しく、華麗であり、宗教的、魔術的で怪奇でもありました」
     ー片口安史中京大教授 

「三島の行動と実践は ある種の反面教師だった.,左翼の側にも三島のいうよ
 うに口舌の徒が多すぎる。
 革命という言葉が乱用され、実践が少なすぎる。三島には、目分を賭けきっ
 てしまうりっぱさがあった。こうなったら、われわれも死に方と死ぬ決意を固
 めなくてはいけない。
 ただ毛沢東語録の中にこういうのがありますー『人はいずれ死ぬものだが、
 ファシストに奉仕した死は鴻毛より軽く、人民のために死ぬのは泰山より
 重い』と。
 三島の死は前者で、われわれの死は後者になるでしょうがね」
     ーML派学生解放戦線、香月徴

自決の翌々日に執り行われた葬儀に白薔薇を持って訪れた弔問客に向かって、
(三島の)母の倭文重が次のように言い放った。
「お祝いには赤い薔薇を持ってきてくださればようございましたのに。公威がい
つもしたかったことをしましたのは、これが初めてなんでございます。喜んであ
げてくださいませな」
  - ジョン・ネイスン

「文体の隅々まで刻苦して西洋を溶け込ませた作家が声高に攘夷を言った。
 その心の闇はこれ以上覗かないほうがよさそうだ。覗いても闇なのだから
 何も見えはしない。死者にはむしろ死者の平和を。それが、生き残ったもの
 の礼節ということになろうか」
     ー出口裕弘「三島由紀夫・昭和の迷宮」

最後に三島由紀夫ご本人のお言葉を。

「たいてい勇気ある行動というものは、別の在るものへの怖れから来ているも
 ので、 全然恐怖心のない人には、勇気の生まれる余地がなくて、
 そういう人はただ無茶をやってのけるだけの話です」
     (「葉隠入門」 光文社) 

「すべてのものに始めと終りがあるように、行動も一度幕を開けたらば幕を閉
 じなければならない。行動は、たびたび繰り返したように、瞬時に始まり、瞬
 時に終るものであるから、その正否の判断はなかなかつかない。歴史の中
 に埋もれたまま、長い年月がたっても正当化されない行為はたくさんある」
     (行動の終結)

「『葉隠』の死は、何か雲間の青空のようたふしぎな、すみやかな明るさを持
 っている。それは現代化された形では、戦争中のもっとも悲惨な攻撃方法
 と呼ばれた、あの神風特攻隊のイメージと、ふしぎにも結合するものである。
 神風特攻隊は、もっとも非人間的な攻撃方法といわれ、戦後、それによって
 死んだ青年たちは、長らく犬死の汚名をこうむっていた。
 しかし、国のために確実な死へ向かって身を投げかけたその青年たちの精
 神は、それぞれの心の中に分け入れば、いろいろた悩みや苦しみがあった
 に相違ないが、日本の一つながりの伝統の中に置くときに、『葉隠』の明快
 な行動と死の理想に、もっとも完全に近づいている。
 人はあえていうであろう。特攻隊は、いかなる美名におおわれているとはい
 え、強いられた死であった。そして学業半ばに青年たちが、国家権力に強い
 られて無理やりに死へ追いたてられ、志願とはいいながら、ほとんど強制と
 同様な方法で、確実な死のきまっている攻撃へかりたてられて行ったのだ
 と……。
 それはたしかにそうである。
 「死」には、「選んだ死」とか「強いられた死」とかの区別はない
      (「葉隠入門」 光文社) 

最後の最後に岡本太郎氏のお言葉。

「あれかこれかとなったらマイナスを選ぶんだ。
 これをやったら死ぬ、という方に進むんだよ」
「どうなるかはわからない。たとえどうなろうと、賭けるんだ。
 瞬間瞬間が一回きりの賭で、賭けた以上は一寸先は虚無だろう。
 だから、賭けとうし貫いて自分の運命を生きなければならない」

彼も葉隠れ武士だ。


*参考:三島由紀夫(「葉隠入門」 光文社) 







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