「人間は考える葦である。とパスカルはいったが、どうもそんな上品な言葉はピンとこない。むしろ、人間は笑うゴリラである。ゴリラと人間とどこが違うかと聞かれると、笑うか笑わないかでアル。というよりほかに答えが見つからないではないか. 人間(三歩ゆずって)とくに男は、あきらかに笑うゴリラである。これは、もう、うごかせぬところである。われわれが笑うのは、じつは、ひょっとして自分がゴリラではあるまいかという、寝てもさめても頭をはなれぬ疑問から逃げ出したいからにほかならない。 笑っているかぎり、とにかくわれわれはゴリラではないのである。笑いは最後の抵抗線、さいごの武器である」 ー開高 健(オール
マイトゥモロウズ 角川文庫) さすが開高 健氏。日本のヘミングウェーといわれるだけのことはある。
悪魔がもっとも敬愛する開口氏であるが、笑う女を氏は一体全体何と表現するのであろうか。
そして、笑うのは男より女の方が遙かに凄いと思うのだが。
「人間とは」という重いテーマであるが、悪魔流にまとめれば以下のようなものである。
「人間は霊長類193種のなかで、ただ一種の体毛のない裸のサル にすぎない。人間を生物界のなかで至上孤高のものとみなしてい た人間の思い上がりをこれほど愕然とされる前提はなかった」 ーデスモンド・モリス「裸のサル」(英国生物学者)
「人間は動物である。私たちは自分のことを堕(お)ちた天使と考えたがる が、実は舞い上がった猿なのである」 ーデスモンド・モリス「裸のサル」(英国生物学者)
「彼はとどのつまりはサルであるが、自分がどんなサルかを議論し ている唯一のサルである」 ーG・W・コーナー
「人間は後向きに歩く動物である」 ー P.ウ゛アレリー
「人類は進歩しているが 人間は変わっていない」
ーマクルーハン
「人間は造物主がつくった傑作である.だが誰がそういうのか? 人間がである」
ーガヴァルニ『警句集』
「神様がこの世を作り、生き物の寿命を決めることにした。ロバや 犬や猿に三十年与えようとしたが、生きている間の苦労を嘆き、 それぞれ十八、十二,十年に縮めてもらった。人間だけは三十 年では短すぎると、ロバなどの寿命をたしてもらい、七十年生き ることになった。 人間は最初の三十年は健康で楽しく過ごせたが、続くロバの 十八年は重荷を背負い、犬の十二年は隅でうなるばかり。 最後の猿の十年は愚かなまねをして子供の笑いものになった とか」 ーグリム童話 日経新聞「春秋」97.6.2
「人間は本能の壊れた動物で”幻想”や”物語”に従って行動し ているにすぎない」 ー岸田 秀 「20世紀を精神分析する」
「人間は天使でもなければ獣でもない.しかし不幸なことは, 人間は天使のように行動しようと欲しながら,獣のように行 動する.
ーパスカル 『パンセ』
「人間が神のしくじりにすぎないのか、神が人間のしくじりにす ぎないのか」 ーニーチェ
「人間とは何なのか?それは愚かな赤児。むだに努力し、戦い、 いらだち、何でも欲しがりながら、何ものにも値せず、小さな墓 をただ一つ手に入れるだけである」 ーカーライル
「ヒトは、パンツをはいたサルである。パンツは、ヒトを人間たらし めているものだ。このパンツは、それを脱ぐときの快感のため にある」 ー栗本慎一郎
「人間は誰でも飛ぼうと思えば空を飛べる。しかし、残念ながら 一方向にしかだけである」 ー「ダーウィン賞」(講談社)
そして決定版は
「動物のなかで赤面するのは人間だけ・・ 赤面する理由があるのも人間だけ」 ーマーク・トエイン
(追)最近出版された「ケータイを持ったサル『人間らしさ』の崩壊」
によると、ケータイでいつも仲間同士で用もないのに話し合っ
ている若者はニホンザルが「クーク」という声を出し合っている
のと同じだと書いている。
すなわち、その声は「危険、危ない」というメッセージではなく
たんなる、仲間との一体感を確かめる手段にすぎないと言うのだ。
(著者:正高信男京都大学霊長類研究所)

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