これは悪魔の作なのであるが・・・・
「我々が歴史を勉強すると、我々が歴史から学んでいないことが分かる」
ーヘーゲル(ドイツの哲学者)
と似たようなものがあった。
「人間が歴史から学んだことは、歴史から何も学んでないということだ」
ーウィンストン・チャーチル
というのもある。.が、似ているようだが、悪魔説とは正反対である。
ヘーゲルは(チャーチルも)
「せっかくの歴史から人類は何も学んでいない。
だからもっときちんと勉強すべきだ」
といっているのである。
「凡人は経験から学ぶ。 余は歴史から学ぶ」
と言ったのはナポレオン・ボナパルト。
なるほど、歴史から学べる人もいるようだ。
「歴史は繰り返す」
という言葉もあるが、これは人類が歴史を学んでいないから”繰り返す”といっているのか、学んだ結果として”繰り返す”といっているのかワカランが有名なことばである。言ったのは
トゥキディデスという古代ギリシアの歴史家である。
これをもじったのか、英国の歴史家フィリップ・ギュデラは、
「歴史は繰り返す
そして歴史家はお互いの言うことを繰り返す」 といった。
”歴史が繰り返す”のではなく”歴史家が繰り返す”のだ。
歴史はだれがつくるのか。 戦争では、戦勝国がつくるのであり、他の国を征服すれば征服者が歴史を作るのである。要は歴史とは強者の作文なのである。そして、歴史家がそれをもっともらしくあとづけの理屈を作り上げるのである。
そして、安易に”歴史は繰り返す”という言葉を繰り返すのである。
「世界の歴史で偶然の産物は一つもない。
すべては意図されて工作した結果が歴史上の出来事になっている」
といったのはアメリカの戦略家ブレジンスキー。
これは、”白人社会(キリスト教)が歴史を作ってきた”といっているのである。
アインシュタインは「神はサイコロをふらない(この世に偶然はなく、すべて必然である)」と言ったが、これもブレジンスキーと全くおなじ言葉であるが、実は違う。
アインシュタインは”神”といったがこれが間違いなのである。
もう一度整理すると、「歴史は決して繰り返さない」そして「歴史からは何も学べない」。
寺田武彦は
「歴史は繰り返す。法則は不変である。
それゆえ過去の記録はまた将来の予言である」
という大胆なことを言っている。が、大丈夫かい?と言いたくなる。
”予言”についてはまた、別項で・・・
「事実を見る前に歴史家を見ろ」
ーカー
「歴史は二度繰り返す。
一度は悲劇でとして
二度目は茶番として」
ーマルクス
「一体歴史家というものは、この世界に起きたことは、どんな些細なものでも、
神様がみんな自分達に相談してでかしたかのように吹聴するものである」
-薄田泣菫(大正時代のコラムニスト) 「茶話」
「時の流れはしばしば同一の進路をとることがある。
しかしそれはつねに新しい道程にむかって進んでいく。
歴史は繰り返しはしない」
ーF・L・アレン「オンリー・イエスタデイ」
「世代にもわたって、歴史家たちは、何が起きたか、なぜ起きたかを見出す
ため、過去のことを集め、価値判断を加えてきた。
記録と報告は、記録者に 都合の良いように書かれやすいので、何が起き
たかをつきとめるのは非常にむずかしい。
しかし、なぜ起きたのか、という理由になると、探り出すことは不可能に近い。
個々人でも、自分がなぜこのような行動をし、このように、このように考える
のか、理由を見つけだすだけの時間的余裕がない。
ましてや集団的行動や態度となると、理由をさぐるのはもっとむずかしい。
理由というものはたいてい、事実が起きたあとで、説明が必要になったときに、
つけられるものである。
ースタインベック
「世界史は、西洋人の世界像である」
ーシェペングラー(ドイツ 哲学者)
「愚者は経験から学び
賢者は歴史から学ぶ」
ー出展不詳
・ただしこれは比較論である。
「私たちは三つの教育を受ける。一つは両親から。もう一つは校長から。 そして残りの一つは社会から教えられる。
そして、この三番目は、初めの二つの教えにすべて矛盾するものである」
ーモンテスキュー
それに「歴史から」と付け加えて欲しかった。
「世界の歴史で偶然の産物は一つもない。
すべては意図されて工作した結果が歴史の出来事になっている」
ーブレジンスキー
*1
「歴史なき国は幸いなり。
歴史というもの、考えて見れば、ほとんど人間罪悪と愚考と不幸とだけを記録した
ものにすぎぬかも知れぬである」
-ギボン(英歴史家)
*1:2004.5.30追加

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