◇私はまだ正義と人道を商品にして売るほど悪徳に馴れていない 

「自分は将来文筆では衣食できない。自活すべく新聞記者になるほか
 ないかもしれない。
 いやことによったら泥坊になっても新聞記者にはなるまい。
 私はまだ正義と人道を商品にして売るほど悪徳に馴れていない」
   ー永井荷風 「新帰朝者月記」(明治42)

ということで新聞について。

「正義」と言ったとたんに、それで相手の発言を押さえつける力がある。
そして、「新聞」は社会の公器ということになっている。

この二つはそれぞれいかがわしいのだが、最悪はこの二つが結合することである。
永井荷風の言葉はこのことを言っているのだ。(しかも、明治42年に)

「戦時中は用紙が配給制だったこともあって、朝日新聞の部数は100万部に届
 いていなかった。それがいまは800万部を越え、読売は一千万を越え世界一だ
 とうそぶいている。
 情報の発信母体の巨大化は質の低下を招く。
 自民党や共産党 の支持者、創価学会員にも購読してもらわなければいけない
 から、いきおい八方美人になる。
 自分の筋を通さないジャーナリズムは堕落する。
 いまの新聞も週刊誌も載っているのはニュースではなく、トピックスだ。
 新聞は その日だけ、週刊誌は3日話題になればいい。
 だからどの新聞も横並びになる。
 ジャーナリズムはニュースを毎日積み重ねて育っていく。それが10年、20年
 続いて、初めて歴史の証言になり、後生に引き継いでいくことができる」
     ーむの・たけじ (ジャーナリスト・元朝日新聞記者)
        「週刊朝日 2002.9」

むの・たけじ氏はあらためていうまでもないが、朝日新聞記者として戦争に加担したことを悔いて敗戦と同時に新聞社を辞め、故郷に戻り「たいまつ」というミニコミ紙を主宰。
警世のことばを四十年以上にわたって書き続ける硬骨の人である。


「わが国には現在、朝日、毎日、読売という三大紙がある。これに、日経、
 サンケイを加えて五大紙と称することもあるらしい。
 新聞というものを、わたしはすでに数十年前からほとんど読まないことに
 している。
 それをひそかなブライドにしている。
 なぜ読まないか、話は簡単である。
 読みくらべて、何のけじめもつかないからだ。
 久しく前から、新聞をつくる人たちが自分は言葉のプロであり、文章を書く
 ことによってメシを食う職業人であるという意識を、徹底的に喪失してしまった。
 売文業者であることを忘れ果てた。
 事件が起こり、その事件を二足す二は四という文体で報道するだけならば、
 それはジャーナリズムとはいえない。
 ジャーナリズムとは、文章である。
 もちろん、事実は伝えなければならない。
 が、その事実を伝えるにも無限の方法があり、発想があることを、みな忘れ
 てしまった。
 二足す二は四という文章ばかりである。
 この退屈さ、凡庸さ、陳腐さ。
 日本の新聞は、洗面器やら毛布やら野球のチケットを配ったりする拡販策で
 部数だけは減らさずにいる。
 しかし、そんなアホきとがいっまでも続くわけがない。
 新聞は美しい、いい文章、その楽しさ、おもしろさ・深さ・柔かさについて考え
 直さなくてはならない時期である」
      ー開高健「開口閉口」

「私は断言する。新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう」
      ー山本夏彦「『豆朝日新聞』始末」

「新聞の記事というものは読者に読んでもらうための『商品』なのである」
      ー伊藤肇 (元中日新聞記者)

「正義と良心を売り物にするのは恥ずべきことだ」   
       ー産経抄 産経新聞 1998.4.17 

「パック・ジャーナリズム
 記者らがウンカのごとく一群(パック)になってニュース群に押しかけ、同一歩
 調かつ横一線で取材し、、どれも大差ない記事、番組をこれどもか、これでもか
 と流し続きけること」
 (日本マスコミの得意技)
   ー辺見庸 「反時代のパンセ・サンデー毎日 2002.10.20

「日本の新聞社を新聞社だと思うから間違う。
 あれは『政』と『官』に寄生する『官』の一部または『半官』だと思えば分かりやすい。
 『官』の要諦は、任期中に自分の官掌内でなにも起こらない、何も起こさないことである。
 新聞記者も『官』に倣う。無用の争いをしてはならない」
   ー(滝) 新聞不信・週刊文春 2002.10.24号 

 「我々人間は正義とか人道とか云(い)ふことを真面目(まじめ)に思ふ、
  しかし河童(かっぱ)はそんなことを聞くと、腹をかかへて笑ひ出すのです」
   ー芥川龍之介の小説「河童」

この話は開高健氏の著作に何度も登場するのだが、
かって、ベトナムの民間航空機が事故で墜落するという事件があったそうだ。
当然搭乗していたスチュアーデスも死んだのだが、その女性が蝶々になって故郷に戻ってきたという記事が地元新聞に大々的に掲載されたそうだ。

これなどはアホらしいがむしろ可愛いではないか。

「ことごとく書を信ずれば書なきにしかず」
     ー孟子
この言葉は読んで何でも信ずる「活字信仰」を諫めたことばである。






アクセスカウンター
 [カウンター]

悪魔のことわざ