◇地球が明日滅びようとも、君は今日林檎の木を植える 

これは石原慎太郎東京都知事が、地球環境について日本のとるべき姿として紹介した、開高健氏が書いた色紙からの言葉である。

凄い言葉だと即座にメモしたものの、開口氏の言葉としてはいまいちピンとこないので数週間悩んでいた。
今日、飲んで帰る電車のなかでなぜか脈絡もなくこの言葉を思い出した。
そして、突然に疑問はオンザロックの氷のごとくにとけた。

開高健のこの言葉は地球環境のことを言っているのではない。
これは人間の生き方そのもののことを言っているのである。

人間は、明日はないと思いながら、それでもけなげに勉強し、研究し、練習し、何らかのものを会得しようとする。
そして次の瞬間死しでしまう。
じゃなんのために頑張ったの?
そりゃね〜だろう!
といいたいところだが、ある部分、分かってやっているという意味もある。
5年先、3年先、1年先に死ぬと分かっていても、勉強し、研究し、一生懸命金を貯めたりするのである。

プロ野球に限らず、スポーツ選手は若い頃には禄に理論も分からず、体力とセンスで好プレーを見せるわけだが、年とともに円熟して理論も理屈も分かって、さてこれからだ。
ところが、今度は肝心な体力がともなわない。結局「アレアレ、そんなはずが・・・」というのが現実である。
それでも、なんとかなるかと懸命に練習をする。
バカである。
アホである。
そして悲しいことである。

開高健はやはり凄い。
もう一度、表題の言葉を反芻していただきたい。

「少年に学あらば、老年にして力あらば」
    ー羅句(ラテン)のことわざ

「我、明日死するとも、今日は旨いものを食いたいなり」
   ー悪魔

*最近の悪魔の研究(?)によるとこの言葉は ゲオルグ・ゲオルギウ氏の作だとか、宗教改革者、マーチン・ルターであるとかの説もあるようだが、
公民権活動を推進したマーチン・ルーサー・キングjr博士の作という説も有力だがどうもよく分からない。
開高健氏はそれを引用して、色紙によく書いていたという。






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