◇時間が過ぎ去っていくのではない。われわれが過ぎ去っていくのだ。

西洋の俚諺である。

「時は流れない、それは積み重なる・・・・」
と、これはウィスキーのテレビコマーシャルの一節。
これもなかなかうまい。

しかし、耳に心地良く響き、なるほどと思わせるがよく考えてみるとこの二つの言葉の意味は正直言って、あまりよく分からない。が、このような言葉に惹かれるのは「時」という不思議さのせいなのかもしれない。
「時」について考えてみよう。

「時の歩みは三重である。
 未来はためらいつつ近づき、
 現在は矢のように早く飛び去り
 過去は永久に静かに立っている」
  ードイツの詩人シラー

これぞ、名言中の名言。

ギリシャ語には”時”を表すのに、二つの言葉がある。
クロノスとカイロスだ。
クロノスの方は(日本のドコゾの時計メーカのブランド名になっていたように)、時計の針が刻むような「量的」な時間であり、カイロスは一回限り、瞬間の「質的」な時間をさす。あることに最もふさわしい決定的な「時」がカイロスである。
  ーアルフォンス・デーケン「私の『時間』」


「時間」は人間にとってあくまでも相対的なものである。
あるときは時に追われ
あるときは時を追いかけ、
あるときは時を止めようと願う。
そしてまたあるときは、時をさかのぼろうと無駄な努力をするのである。
そして「時」は人間に将来の希望を与えるが、同時にそれ以上の悩みを与えるのである。

やはり「時」は人間にとって絶対でもある存在なのだ。

ギリシャの哲学者ゼノンのレトリックに「飛んでいる矢は止まっている」というのがある。空中を飛ぶ矢も、一瞬一瞬をとらえれば止まっているというのである。
我々も、もし砂漠に行き、太陽と砂のコラボレーションを目にしたらその瞬間、風景は止まって見えるはずである。
風景と心は止まってしまっているが、ただそこには悠久の時が流れるのである。

時は止まっているが、同時に確実に流れていく。

『君がサラエボの街で一晩、眠らずに起きているなら、君はサラエボの夜の声を聞き分けることが出来るだろう。』
まずカトリック教会の大時計が重々しく夜中の二時を告げる。長い一分間が過ぎると、甲高いギリシャ正教会の時計が二つ鳴る。
やがて遠くでイスラム寺院の時計が十一を打つ。トルコ式の時間だ。ユダヤ教徒は時刻を知らせる鐘を持たない。いま何時か、それは神のみぞ知っている。
『こうして万人が眠りについている夜の底でさえ、世界はばらばらに分かたれている』
           アンドリッチ (ノーベル賞作家)

「時間ー時間とはなんだろう
 スイス人は時間をつくる
 フランス人はたくわえる
 イタリア人は無駄遣いする・・・・
 アメリカ人は”時は金なり”
 という」
     ー映画「悪魔をやっつけろ」ジョンフューストン監督

「時間の羽ばたく翼は何と素早く一日一日を
 刻々終わりへと追い立てることか!
 優しく過ぎていく一時間一時間は
 姉妹のように似てはいるが
 やはり違う一時間なのだった」
    ーゲーテ(74歳の時の言葉)

「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているだ
けなのである。人生は十分に長く、その全体が有効に費やされるのならば、最も
偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」
     ー哲人セネカ(ローマ帝政初期) 

「あなたを待つ時間の長いこと、
 あなたといる時間の短いこと、
 計れば同じ時間なのに」 
   ー相田みつお 『時』

「時間をつぶしながら午後を過ごし、夜を過ごし、週末をすごす。
 そうして時間をつぶしながら歳月を重ねるうち、ついには時間が
 おれをつぶすだろう」
   ースティーブ・ホッケンスミス(米国人作家「エリーの最後の一日」より)

「飛行機事故の場合、一瞬で死ねると思っている人が多いけど、
 とんでも無い間違い。事故が発生して墜落までの時間は無限と
 思われるほど長いものだ。絶望と恐怖におののきながらである。
 墜落事故の現場写真には人間は写っていない。
 それは、ほとんどの人の髪の毛がわずかの時間で真っ白になって
 いるからだ」
    ーある航空会社の取締役の話 「真昼の星空」米原万里著より

「待つ身がつらいかね、待たせる身がつらいかね」
    ー太宰治


(2003.8.29訂)
(2007.6.6追)
(2007.7.18追)
(2009.6.25)(追)




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