◇私はいつも前もって予言をするのは避けることにしている 

「私はいつも前もって予言をするのは避けることにしている
 なぜなら、ことが起こってから予言する方が優れたやりかただからだ」

サー・ウィンストン・チャーチルの言葉である。
さすがですね。
チャーチルでさえ”予言”は難しいといっているのである。

”歴史”のページで書いたが、寺田武彦は
「歴史は繰り返す。法則は不変である。
 それゆえ過去の記録はまた将来の予言である」
といっているが、これはまさに単細胞的発想である。

歴史のなかのある事象をとらえると、全く現在に置き換えられる。従って、次の展開が予測できる。いうのだが、同じ人間が一人もいないように、”ある事象”も似ているだけで実は千差万別なのである。仮に核の部分はほとんど同一だとしても、その周りの一つ一つまで同じということはあり得ないのである。
予言が当たらないというのはそれこそ”歴史”が証明している(?)。
「ノストラダムスの予言」などは超こじつけだし、経済の予言なども当たった試しがない。
地震の予知なども全く駄目。
何せ、明日の天気すら当たらないではないか。

チャーチルはこうもいっている。
「過去を遠くまで振り返ることができれば、先のこともそれだけよく見えるようになる」

見えるようにはなるが、予言は難しいといっている訳である。

これは大正時代の予言である。書いたのは薄田泣菫氏

第一次世界大戦がはじまったころのはなしである。 いつこの戦争が終わるかという話の中で、アメリカのフイシユといふ人は、
「俺ならその時期を予言する事が出来る」
と言つたそうな。 その根拠を教えろと友達がいうと、フイシユは革表紙のすり切れた新約全書を机の上から引張り出して、
「有難いのは、この本だよ、ちやんと今度の戦争の終末期まで出ているから、大したもんさ」
と鼻を鳴らして感心してゐる。
.フイシユの説によると、今度の大戦争の張本人はいう迄もなくKaiserである。ところでこのKaiserと
いう六文字のうちKはアルフワベツトの十一番目の文字、その十一を六の前に置くと116となる。
かうして後の五文字をも勘定して、出来上つた数字を残らず一緒にして見ると、次ぎのようになる。

116
 16
 96
196
 56
186
666

「この666といふ数が大事なんだよ、この数が聖書のなかに出ているのは、君は知らないかも知れないが、ヨハネ黙示録の第十三章さ。
とフイシユは黙示録をあけて、その第十三章を友達の目先に突きつけた。
友達は声を出して黙示録を読んだ。
「またこの獣を拝し、いいけるは、誰かこの獣の如きものあらんや、誰かこれと戦ひをなすものあらんや
……ね、全でカイゼルに当てはまるだろう、所が次を見給へ、四十二箇月の間働きをなすべき権を与へられたとある。だから四十二箇月すると戦争は済むのだよ。神様の思召なんだから仕方がない」
四十二箇月目といふと来年の一月が丁度戦争終熔期といふ事になる。もしかそれが当らなかつたにしても、それは聖書や予言が悪いのではない、カイゼルが悪いのである。

これを書いた薄田泣菫は大正時代のコラムニストである。
だから、この”戦争”とは第一次世界大戦のことなのだが、このコラムが書かれたのが1917年10月2日である。
フィッシュ説によると1918年の一月が終戦となるはずであった。
実際の終戦は同じ年の11月11日だから、薄田泣菫の書いたように予言は当たらなかった。確かに予言が悪いのではなく、悪いのはカイゼル。そして最終的には悪魔の力である。


「経済予測家にとってもっとも有利なことは,あらゆる予言が正しいにせよ
 間違っているにせよ,まもなく忘れ去られてしまうことだ」
   ー経済学のジョーク

「科学技術の未来は予測できるが、
 政治や経済など社会分野の変化は予測できない」
  ーアーサー・C・クラーク(「2001年宇宙の旅」などのSF作家。
    2008年3月19日没)







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