◇ 人間は拭く動物である 

本当は「日本人は拭かない動物になる」としたかったのだが、前項「人間は拭く動物である」
との関係が不明になる恐れがあるので、一応この表題にした。

さて、その話題に入る前に前項の話を少しだけ(といっても結構長い)しよう。

このコラムの主宰者である「悪魔」の長年にわたる経験と研究によると、前日酒を飲み過ぎて
トイレに行きたくなるのは朝起きた直後ではなく、不幸にもほとんど出勤途上の電車の中という
のが結論である。しかも、その要求は過激であり超火急的に対応しなければ悲劇的な情況が
待っているのは明らかである。
腹の中のピーゴロゴロどもを何とかなだめつつ、死ぬ思いで秋葉原駅のトイレを見つけてあれ嬉しや、これぞマシしく「地獄に悪魔」。
ところが、ドアを開けて中を見ると・・・
悪魔の表現力を持ってしても書きつくせない。
ある日の朝の出来事であった。

ところが、である。
そんなモノまだまだ!
ということを思い知らされた。
ロシアのトイレのことである。少し長いが引用する。

「私はこれまでの人生で日本の山や梅の充分にヤル気に満ちた赤裸々便所をはじめとして
世界のかなりのさまざまな荒くれ便所をを見てきたのだが、そのレストランの便所は過去私が
見てきたいかなる凶悪型の汚れ便所よりも汚かった。堂々と果てしなく圧倒的決定的に汚な
かった。
どう汚かったか、筆舌に尽くしがたいとはこのことで、胃rくら微細詳細に文字に書いてもその
時の迫力と壮絶さは百分の一も伝わらないとは思うものの、せめてそのほんの一部でもつたえ
たいという思いを込めて何とかわずかでもここに書き記しておきたい。
真ん中にしゃがみ式の便器があった。問題はそこに点在し堆積するおびただしい糞の山であった。
あるものは暗黒色にひからびて固まり、あるものは円形状にだらしなく広がり、あるものは暗赤茶
緑オウド色といったあんばいのまことに複雑な色配合混濁ぶりををみせて横たわり、またあるもの
は灰色にくるまって大地の上からぐいんとその半分ほどをつきだして、虚空に身をよじっている。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・
「うう、うう」と私はしばしおのれの次なる動きを忘れて低くうなった。
  ・・・・・・」
    ー椎名誠 「ロシアにおけるニタリノフの便座について」新潮社

世の中は広い。
悪魔ですら知らない世界がある。

ロシア語通訳者の米原万里によると、かの有名なエルミタージュの便所でもま〜似たようなものらしい。

でもロシア人は知っている。

「いかなる言葉、いかなるメロディを駆使しても、あのすさまじい汚さを表現し、伝えることは
 不可能である」
   ーロストロポーヴィッチ (ロシアの誇る大チェリスト)

随分通まわりをした。

国民性の違いと言えばそれまでだが、フランス人が何百年も使っていてなんの不自由も感じ
なかったビデを水洗トイレと合体したのはなんと日本人である。
「東陶(TOTO)」よ偉い!。
このトイレは使用後、紙を使わず温風でその「部分」を乾かす。すなわち紙も綱も木の枝もなにも使わない、画期的製品である。

こうして(やっとのことに)
「日本人は拭かない動物になる」
というありがたいお言葉が誕生した訳である。

ふ〜・・・・・・・。

そういえば、かのベルサイユ宮殿にも便所がなかったのは有名。
妙齢の女性がお庭で大きなスカートを広げて脱糞し、その臭いのをごまかすために香水が発達
した。
と言うのも通説である。

なにが「シャネルの5番」だ。



*下の写真は悪魔の友人、同志セギ・オワキスキー氏がソ連崩壊直前に記録した貴重な写真。
  ハバロスク駅の男女共用の有料トイレの様子である。 有料だけあって、綺麗(?)である。      




*お奨めサイト 「ヘチャムクレの日記ーロシア・シベリアのトイレ」       http://blog.drecom.jp/kishio-t/archive/81


(追加)

「ところで、おどろいたことに、このラーゲリのトイレを、ソ連側もときどき私たちとおなじように
 使用したのである。私たちがやっている隣へひょいと来て下士官も兵隊も草色のズボンを
 おろし、シリを丸出しにしてやるわけである。
 彼らは紙は使わない。終わればズボンを上げてそのまま出て行ってしまう。もちろん手など
 洗わない」
    ーシベリア拘留兵よもやま物語 (斎藤邦雄) 光人社
 (「パンツの面目ふんどしの沽券」 米原万里  筑摩書房 より孫引き)

お〜、なんとソビエト連邦の人間も「拭かない人間」であった。








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