佐賀錦とは
「佐賀錦」は約190年前、肥前鹿島の藩主鍋島家の後室が網代天井を
見て織物にすることを発案したのが始まりです。
当時は組錦または御組物とよばれ、鹿島鍋島家大奥の手芸として
盛んに行われました。その後、改良・進歩を重ねながら従来の綾織の
ほかに花鳥図・風景画等、精巧な技術を駆使した織り込み模様が
織り出されるようになりました。
「佐賀錦」は和紙に金・銀・プラチナなどの箔を置き、巾3cmを
20割に裁断するものから60割まであり、それを経紙とします。
織り方は経紙を1本おきに竹べらですくって緯糸を通し、一段一段
織り上げます。非常に精緻な技術を要するため、制作日数もかかり
根気との戦いとなります。
数多い諸手芸の中でも、作品の絢爛豪華な出来映えは、日本伝統工芸の
白眉かと存じます。
井上佐賀錦の歩み
1953年 (昭和28年) 井上静子「井上佐賀錦研究所」発足。
「綜絖」を考案し、画期的な技術の進歩が生まれる。
「今様佐賀錦」を発案する。
宮中への納品が始まり、現在に至る。
1960年(昭和35年) 三越日本橋本店に商品納入始まる。
1965年(昭和40年) 「井上佐賀錦教室」始まる。
株式会社井上佐賀錦研究所設立。
1969年(昭和44年) 三越日本橋本店と大阪店で
「井上静子佐賀錦50年」記念展開催。