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【確かに主は復活された】 ガラテヤ2章15〜21節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年4月1日(イースター)

 復活祭オメデトウございます。私はトマスと同じで主の復活がなかなか信じられませんでした。ヨハネ20章24節〜29節「12弟子の一人で、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられた時、彼等と一緒にいなかった。ほかの弟子達が、彼に[私達は主にお目にかかった]と言うと、トマスは彼等に言った[私は、その手に釘跡をみ、私の指をその釘跡に差し入れ、また、私の手をその脇にさし入れてみなければ、決してしんじない]八日ののち、イエスの弟子達はまた家のうちにおり、トマスも一諸にいた。戸はみな閉ざされてが、イエスは入って来られ、中に立って『安かれ』と言われた。それからトマスに言われた、『あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手を伸ばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい。』トマスはイエスに答えて言った、「我が主よ、我が神よ」イエスは彼に言われた『あなたはわたしを見たので信じたのか、見ないで信ずる者は、幸いである』トマスは主を見て信じたが、私はパウロが主の復活について的確なお証しをしている。コリントへの第一の手紙15章1節〜11節出来うるなら15章全体を読むとよいのですが。このパウロのあかしで主の復活を信じ救われました。「兄弟たちよ。私が以前あなた方に福音、あなた方が受けいれ、それによって立ってきたあの福音を、思い起こしてもらいたい。もし、あなたがたが、いたずらに信じないで、私の宣ベ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである。私が最も大事なこととしてあなた方に伝えたのは、私自身も受けたことであった。即ちキリストが、聖書に書いてあるとおり、私達の罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。その後、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中には既に眠った者たちもいるが、大多数は今なお生存している。その後、ヤコブ(主の肉親の弟)に現れ、次に、全ての使徒達に現れ、そして最後に、いわば、月足らずに生まれたような私にも、現れたのである。実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒達の中で一番小さい者であって、使徒と呼ばれる値打のない者である。しかし、神の恵みによって、私は今日あるを得ているのである。そして、私に賜った神の恵みは無駄にならず、むしろ、私は彼等の中の誰よりも多く働いてきた。しかしそれは、私自身ではなく、私と共にあった神の恵みである。とにかく、私にせよ彼等にせよ、そのように私達は宣べ伝えており、そのように、あなた方は信じたのである。」

 4福音書にイエス様の十字架の死、墓への葬り、3日後のよみがえりに出会った人々が語っています。使徒行伝1章3節には「イエスは苦難を受けた後、自分が生きていることを数々の証拠によって示し、40日にわたってたびたび彼等に現れて、神の国のことを語られた」4・5節を含めて具体的に述べられています。

 そして、これらの人々の実際に経験したことを、パウロは簡潔に復活の事実を詳しく述べています。聖書で主の復活を詳しく述べたのは、コリント人への第一の手紙の長い章です。そして彼は言います。「もしキリストがよみがえらなかったとしたら、私達の宣教はむなしく、あなた方の信仰もまたむなしい。すると、わたしたちは神にそむく儀証人にさえなるわけだ。なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、私達は神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなた方の信仰は空虚なものとなり、あなた方は、今なお罪の中にいることになろう。そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みを抱いているだけとすれば、わたしたちは、全ての人の中で最もあわれむべき存在となる。」

 15章全体でパウロの立てた証しは、十字架の上の主によって罪ゆるされたキリスト者であればアーメンαμηνと感謝の声を上げ、イースターを喜びオメデトウの言葉を交わします。

 私は64年前に、急に台湾にお帰りになる林異来牧師から遠藤兄弟の家庭集会を継続して欲しいとの事でした。教会開拓として受け入れました。家庭集会を3度ほどして元パチンコ屋を敷金9万円、月5千円でお借りして開拓を始めました。最初の礼拝で私は救われたとき生きて帰れば牧師になりますと神様に約束しました。私は生きて広島の大竹港に上陸した時から、生活を軌道に乗せてからとか大学で教養を修めてから等勝手な理屈を述べて牧師になることから逃げ回っていました。が、牧師にならざるを得なくなりました。それならゼロから始める開拓伝道者になると心にきめました。神様はそれを認めてくださったのでしょう、1ヶ月余に路傍伝道などで十数名の青年たちが与えられ、教会活動が始まり62年を経て現在に至りました.嬉しい楽しいこともありましたが常に経済的に苦しめられていました。

 今年の1月1日、お祈りしていると今年で説教者の勤めを辞めよと示されるのですが、元住吉教会を自分の命のように愛しているその気持ちを抑えるのが大変でした。が、1月11日思いがけなく40数年前に田舎に帰った兄弟から、今後の活動にお使いくださいと、献金が送られてきました。神様ガ兄弟を遣ってハッキリしない私の信仰に活を入れられと感じ礼拝説教を今期でやめる決心が出来ました。翌日教文館で賛美歌のプレイヤーを申し込んできました。14日の役員会で礼拝説教をやめて、神様との約束どおり家庭集会の奉仕に向かうことと報告しました。なぜ急にそのようになったのかとあるかたから質問を受けましたが、以上のような事で元住吉教会での説教は終りますが、頼まれた方の家庭集会は続けます。これが開拓伝道者として召された者の続けて行く道です。

 長い間教会を支えて下さり苦闘する私を励まし助けて下さった兄弟姉妹方に感謝いたします。どのような状況におかれても温かく見守り恵を与えてくださった主イエス様に心の底よりお礼申し上げます。私を愛し育てて下さった元住吉教会が真の教会として用いられますよう。愛する兄弟姉妹方に上よりの豊かな祝福がありますようにお祈りいたします。

 深佐隆英牧師は本日のイースター礼拝説教で62年間の説教、その他の教会でのご奉仕は終了します。私のつたない説教概要を読まれ励まして下さった兄弟姉妹方に感謝します。特に忙しい中ホームページに転載して下さった先に主の下にいかれた本田姉妹に感謝します、10数年私を励まして継続させて下さった足立兄弟に心よりお礼を申し上げます。私は残された時を神様のご命令に従ってご希望者の家庭集会をいたします。交通費、謝礼など既に与えられていますので。お心ずかいはご無用です。

 なお許されますならば家庭集会でのおはなしも掲載していただければとねがっています。

 長い間交わりを頂き有難うございました。愛兄姉方に豊かなる神様の祝福をお祈りいたします。

 

【信仰の証し】 ヤコブ2章14〜26節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年3月18日

 ヤコブは主イエス様の肉の弟です。彼は最初イエス様を信じなかったが、主の復活後、主を信じました。パウロの手紙によると、彼は12使徒とも、弟子達全体とも区別される重要な地位にあったことを知ります。エルサレム会議では指導的役割を演じています。AD62年ごろ大祭司アンナスに捕らえられ律法を破ったかどで石で打たれて殉教しました。エルサレムの住人達からヤコブは”義人”と呼ばれていたと言われていました。ルターの聖書のヤコブ書の序言で、他の手紙と比べるなら軽い藁の手紙であると言っていますが、それは、ローマ教会が行いの義としてヤコブ書を取り上げたからでしょう。他の翻訳聖書の序言では信仰と行ないによる義認について、パウロとヤコブとの間に何ら矛盾がないと述べられています。

 私は現存された2人の信仰の行為の証しで信仰を持つことが出来ました。ガラテヤ2章20節「我キリストともに十字架に付けられたり《ガラテヤ5章24節キリスト・イエスに属する者は自分の肉とともにその情と欲とを十字架につけたり》」は救われた事で経験しましたが、「最早我生くるにあらず、キリスト我が内にありて生くるなり。今我肉体に在りて生くるは、我を愛して我がために己が身を捨て給いし神の子を信ずるに由りて生くるなり」が経験できませんでした。

 その時水口牧師がヤコブ書2章17〜18節「信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。しかし、[ある人には信仰があり、またほかの人には行いがある]と言う者があろう。それなら、行いのないあなたの信仰なる物を見せて欲しい。そうしたら、私の行いによって信仰を見せてあげよう]。」を示されて信仰は肉体の行いとしての生活において、キリストに内住していただく者にふさわしいものであるはずですと言われました。[何時も喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなた方に求めておられることである]このことが牧師には自然に出来ているのを見て信仰の極意を感じました。

 あと一人は母です。鹿児島県立病院で看護婦と助産婦の資格を得て、上京しました。そして妹の婚約者が警官になると法律を勉強していたその学費と生活費を出していました。知人の紹介で父当太郎と結婚、台湾台中の製糖会社の斡旋で産院を開業、落ち着くと親族の子供で中学に進んでいない子達を呼寄せ中学に進ませ卒業したら東京の大学に進学させました。母は教会に行くことは誰にも強制しませんでした。特別伝道会には全員参加でした。その頃には助産婦志願者の実地訓練をしていたので5・6名も参加していました。

 家の応接間には山村軍平の平民の福音が全巻、賀川豊彦の著書が多くあったのを覚えています。欄間には西郷隆盛の[敬天愛人]の額が掲げられ、床の間には掛け軸で西郷さんの詩がかけられていました。それらを読んでいたのでしょうか敗戦後あった彼等彼女達は殆どキリスト者になっていたことは驚きと共に母の信仰の証の素晴らしさを実感しました。

 母は実習生にも産婦にも先生と呼ばせずおばさんで通しました。台湾人の助産婦が少ないので取り上げる人がいない貧しい人々のところにも実習生を連れて行ってすべて費用は持たせず沐浴などさせていました。この人達も殆どキリスト者になり母のしたように働きました。その産婦たちが敗戦後子供をつれて米や野菜肉類を運んでくれて助かりました。

 ある日学校から帰ってくると、女中におばさんが応接間に来るようにと言っているよと言われ、入っていくとそこに4人の人が窮屈そうに座っていました。それは小作人と書類を書く公学校の先生でした。母は一応地主の名義は隆英になっているので呼びましたと言い。小作料の交渉になるとは母は税金を払ったら、後は時々野菜類を届けて貰えば良いですといいますと、先生が今までとあまりに条件がよすぎますと言いますが、母は将来農園をする予定で土地も増やすのでそれでよいのですと、契約書を作りました。

 万事がこの様な有様ですので、とばっちりは私の小遣いなどに影響して不自由でした。しかし食糧事情が悪くなった時届けられるもので助かりました。そのあまりを教会の方々に配り、私に母は言いました、できる時に人のために出来ることをすれば自分も助かるように神様が導いて下さるのだよと言われ信仰の行為を見ることができました。

 日本に帰ってきて驚きました、叔父が退職したら住むためにとの家があるのでそこに落ち着くようにと住まいは安心しました。一人前に成った者たちが次々と生活に必要なものや食料が届けられ生活が安定しました。

 後は特攻隊で何処にいるのか弟を探すことでした。その弟も高知の航空隊の隊長の勧めで開墾している時米軍の従軍牧師に出会い、いろいろのことがあって無事東京に来ました。学校問題も不思議に導かれて深沢の園芸高校に転入しました。私は法律を学んでいましたが、小学校の校長が免許状を持っているなら大学の学びに支障のないようにするからぜひ勤めて欲しいと言われたので神様と約束した牧師になることから逃げられると思って飛びつきました。

 時が立ってある時母と妻好恵が、青山学院大学をやめて聖書学院に行くことが早く牧師になることが出来るからと迫られ、私の欠点の情に対する弱さを衝かれ聖書学院にはいりました。そして牧師になるならゼロから始めようと決意しました。

 水口牧師と母の信仰による行いが、私のこの世に惹かれて主との約束を破り、従うことの出来ない私を牧師として64年間奉仕できるようにしてくださったのです。ロマ書8章28節「神を愛する者、すなはち御旨によりて召されたる者の為には、凡ての事相働きて益ととなるを我らは知る」私の前に真実の信仰にいたらしめんため2人の証人を与えてくださったことを神様に感謝すると共に、行いによって信仰を示した証人水口牧師と母に感謝し私も残されて日々証しをなして行きたく願っています。

【木にかけられた者】 ガラテヤ3章10〜14節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年3月4日

 パウロは”信仰によって”を強調する為、律法の誤りを厳しく指摘します。10節以下で律法の行ないでは、義と認められないことを述べています。9節「信仰によって生きる人々は、信仰の人アブラハムと共に祝福されています。」10節「律法の実行に頼る者は誰でも、呪われています。(申命記27章26この律法の言葉を守り行わない者は呪われる)と書いてあるからです。」

 十戒を中心とした律法があります。私達は律法をすべて守っているとはいえません一つは守っていても他は犯しています。結局は全てを多少とも犯しています。その意味でも私達は皆呪いの下にあります。神様は私達をのろいの下に置くために律法を与えなさったのでしょうか、愛の神様が私達をのろいの下に置かれるはずではありません、11節「律法によっては誰も神の御前で義とされない事は、明らかです。なぜなら、ハバクク2章4節(正しい者は{信仰によってエク ピステオースεκ πισεωσ}生きる)からです。信仰義人を生かすのですからです。

 12節「律法は、信仰を拠り所としていません。(律法の定めを果たす者は、その定めによって生きる)のです。レビ18章5節(私の掟と法を守りなさい。これらを行う人はそれによって命を得ることが出来る)」旧約聖書では、罪が呪いをもたらせて不幸にするという信仰があります。創世記3章、エデンの園物語ではへびが罪を犯させたために呪われ、アダムの罪のため地は呪われました。前記の申命記27章には違反者に呪いをもたらせる罪が列記されています。しかし呪いは神様が人々に与えようとする恵に相対するものでして、人は神に従うべきか否かを自ら決定するのです。自らの意思決定して、神様からの祝福を受けるべきです(申命11章26〜28節と30章1,15節〜と比較する)

 新約聖書でも、のろいは罪を犯した者の裁きに関して述べられます。イチジクの呪い(マルコ11章12〜14,20〜)実の成らない時期であることをご存じのイエス様がなぜイチジクの木を呪われたのか不思議でしたが、神様への不従順から自分の上に不幸を招くユダヤ人について述べられた事を知り神様のさばきの厳しさを知りました。

 パウロはキリストを愛さない者は呪われる。また福音と偽った教えを説くものは呪われると言っています。申命記27章26節『この律法のことばを守り行わない者は呪われる』コリント前6章22節「主を愛さない者は、神から見捨てられるがいい。[呪われよ]」イエスは主ですと告白して主イエスを愛することが、主イエス・キリストとの交わりに入れられている証拠です。主を愛さない者は自らをキリストとの交わりから切り離すことになります。

 律法による救いは不可能であり、信仰によらねば救いはありません。律法によって生きるものは、律法の支配下に生きる事であってそれは呪いのもとに生きることを意味します。

 13節ここで私達を律法の呪いから贖い出してくださるキリストの犠牲が取り上げられます。信仰により義人の道は人間が自由に選び取れる道ではなく、神様がキリストの死を通して与えてくださる恵の賜物です。キリストは私達の為に、呪われた者となって十字架の死をもって私達を救ってくださったのです。「木にかけられた者は皆呪われている」と書いてあるからです。その死が、私たちを呪いから贖い出してくださったのです「贖いだす]エクサゴラゾーεξηγοραζωは代価を払って人を奴隷の身分から自由にする事です。

 神様の御独り子罪のないお方を罪人の呪いの身代わりとして十字架の贖いの死をなさしめ、死の代価を払わなければならない私達を、律法の呪いから解放して下さり、罪から救い、神様の子としてくださったことを心に銘記してください。

 

【人を通してでもないガラテヤ書】 ガラテヤ1章1〜5節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年2月18日

 12使徒たちは(キリストの福音を世に伝える人々の中の中心人物たちでキリストからの直弟子です)。パウロは異邦人伝道の弟子とされた人物で生前の主は知らずダマスコ途上での復活の主に出会ったのみです。そのために何か問題が起きるたびに周囲の人々から特にクリスチャンからも「彼は迫害者であって、本当の使徒ではない・・・」と冷笑されたり酷評されたりしました。

 パウロによって開拓され信仰に導かれたガラテヤ地方の諸教会の信徒達も同じでした。律法主義者の人々の言葉によって信仰がぐらつきだすと、パウロの教えを非難すると同時に、彼の使徒職を疑う者まで出てきました。使徒26章12〜18節アグリッパ王の前で弁明をしながらダマスコ途上での復活の主との出会いを語っています。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴ると、ひどい目に会う』と私にヘブライ語で語りかける声を聞きました。私が「主よ、あなたはどなたですか」と申しますと、主は言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起き上がれ、自分の足で立て、私があなたに現れたのは、あなたが私を見たこと、そして、これから私が示そうとすることについて、あなたを奉仕者、また証人にする為である。私は、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのもとに遣わす』と主から異邦人の伝道者使徒とされたことを述べています。

 彼は王の前での証しで彼の使徒職は神によるとはっきり述べています。ガラテヤ、の手紙の挨拶で、1章1節「人々からでもなく、人を通しでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」と述べています。使徒会議やエルサレム教会によって権威付けられた使徒職ではないと強く言明しています。

 キリストの福音がキリスト者の間で正しく受け取られている時には、パウロは使徒として重んじられていました。福音を間違って受け取られますと必ずパウロの使徒職に疑いが向けられました。パウロは常に福音の信仰の正しい方向を指し示していますが、その事をはっきり述べているのがガラテヤ書です。

 人々からでもなく人によってでもなく、私たちキリスト者の生活が映し出されます。学歴とか家柄など毛並みが良いとか悪いとかを、自分達の生活の基準にしています。つまり人々が作り上げたもの,人によって認められるものが、人生の基盤のようなものになりそれに支配されるとするのです。現在の社会は階層の分断化が進み富めるものと貧しさが、子供の将来まで決定する時代になってしまいました。人の作り出した基準に縛られて、人間同士の競争、対立のいがみ合い、これが私達の生活態度の病気ですが不快な病気とは感じず。むしろ人間に認められたと思い立派な正しいことだと見せかけています。これが聖書が語る偽り偽善です。人の評価を大切にして、本物の福音をないがしろにしているのです。

 イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神によって使徒とされたように私達もキリスト者となり、主の体なる元住吉教会に加えられ兄弟姉妹の交わりに与る者とされたのは、決して人々や人を通してではありません。キリストの十字架でともに死に主と共に復活して救われた者たちです。

 6・7節ほ「キリストの恵に招いて下さった方から、あなた方がこんなにも早く離れてしまいほかの福音(別の福音ではなく教え)に乗り換えようとしていることにあきれ果てています。ほかの福音と言っても、もう一つの別の福音があるわけではなく、ある人々があなたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているに過ぎないのです。」

 千葉にいた兄弟ですが、暫く教会から離れているうちにキリスト教を名乗る集いに出ているとき、大学時代に元住吉教会での話と違うなと思い、友人に話したらそれは異端だと言われ彼が箱いっぱいの本を贈ってくれたのを読んで真実の福音に戻り60才すぎて受洗し、若いときに真実の福音に触れていたので遠回りをしましたがクリスチャンになれました。と感謝の言葉と共に香りよい味のよいコーヒーを欠かさず送ってくれました。目が見えないので連れ合いさんに書物を読んでもらい、毎週のように電話での質問がありましたが、昨年の元旦に突然召されました。後は彼女が引き受けて質問は続いています。また昨年のイースターには80過ぎた兄弟が、主の福音を受け入れバプテスマを受けられました。

 これらの事は人には出来ない事です。4節「キリストは、私達の神であり父である方の御心に従い、この悪の世から私達を救い出そうとして、ご自身を私達の罪の為に献げて下さったのです」真実の福音と飾り立てた偽者を見分けなくてはなりません。そのためにキリスト者は礼拝を兄弟姉妹と守らねばなりません。サタンは私達を間違った教えへと連れて行こう虎視眈々と狙っています。油断してはなりません。

 

【新しく創造された者】 ガラテヤ6章11〜18節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年2月4日

 パウロが聖霊に導かれて書いたローマの信徒への手紙・ガラテヤの信徒への手紙は、私が主イエス様との出会い、そして十字架の救い。2回目の回心聖めの経験をしたのもこの二つの手紙によります。ローマ書1章17「義人は信仰によって生くべし」ガラテヤ2章16節「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました」私はイエス様をキリストと信じる信仰によって救われ聖められたのです。聖められたとは愛に満たされた事です。新しく再創造された者をいいます。
 使徒パウロは、キリストの弟子の中で最大の人でした。教会とキリスト者はガラテヤ書でいつもその信仰生活の方向を正されてきました。マルチン・ルターは宗教改革の時にこの手紙を「自分の妻」とまで言ったと言われています。信仰の正しい方向を示しているからです。

  パウロの信仰・神学の深さは、一部の人にキリスト教と言うよりパウロ教と言われるほどでした。旧約の素養の上に立ってイエス様がキリストであることを、信じ証し続けたのが彼の書簡です。彼はキリストの生前には直接師事した事はありません。彼は長い間キリストを信じるどころか、1章13〜14節キリスト者と教会は旧約聖書に違反しているやからであると迫害しました。この迫害者サウロがキリスト者になった出来事が 使徒9章1〜22節に記されています。

 迫害者サウロがキリストの使徒となった証を22章ヘブル語で行なっています。「兄弟達、父たちよ、今申し上げる私の弁明を聞いていただきたい」パウロが、ヘブル語でこう語りかけるのを聞いて、人々はますます静粛になった。そこで彼は言葉をついで言った、「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人であるが、この都で育てられ、ガマリエルのひざもとで先祖伝来の律法について、厳しい薫陶を受け、今日の皆さんと同じく神に対して熱心な者であった。そして、この道を迫害し、男であれ女であれ、縛り上げて獄に投じ、彼等を死に至らせた。この事は、大祭司も長老達一同も、証明するところである。さらに私は、この人達からダマスコの同志たちにあてた手紙をもらって、その地にいる者たちを縛りあげ、エルサレムにひっぱってきて、処罰する為、出かけて行った。

 旅を続けてダマスコの近くに来た時に、真昼頃,突然、強い光が天から私を巡り照した。わたしは地に倒れた。そして『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。これに対して私は『主よ、あなたはどなたですか』といった。すると、その声が『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。わたしと一緒いた者たちは、その光を見たが、私に語りかけた声は聞かなかった。私が『主よ、私は何をしたらよいでしょうか』と尋ねたところ、主は言われた、『起き上がってダマスコに行きなさい。そうすれば、あなたがするように決めてある事が、全てそこで告げられるであろう』私は、光の輝きで目がくらみ、何も見えなくなっていたので、連れの者たちに手を引かれながら、ダマスコに行った。

 すると、律法に忠実で、ダマスコ在住のユダヤ人全体に評判のよいアナニヤという人が、私の側に立ち、『兄弟サウロよ、見えるようになりなさい』と言った。その瞬間に(うろこのようなものが落ちて)、私の目が開いて、彼の姿が見えた。彼は言った『私達の先祖の神が、あなたを選んでみ旨を知らせ、かの義人を見させ、その口から声をお聞かせになった。それはあなたが見聞きした事につき、全ての人に対して彼の証人になるためである。そこで今、何のためらうことがあろうか。すぐ立って、み名を唱えてバプテスマを受け、あなたの罪を洗い落としなさい』」

 主が私に言われた、『行きなさい。私が、あなたを遠く異邦の民へつかわすのだ』この様な経験を通って迫害者サウロが使徒パウロとして異邦人伝道から当時知られていた世界にキリスト教を広げ、現在の世界の隅々まで福音が述べ伝えられる切っ掛けを作ったのです。そればかりかガマリエルに教えられた旧約聖書の知識と教養によって、復活までの主のご活動を生前の主に接した弟子達から教えられ、その上聖霊の導きにより、キリストに関する教えを整理したのが彼の手紙です。それは新約聖書の大部分を占め学者の一部をしてキリスト教と言うよりパウロ教とまで言わしめました。しかし彼の証しは復活の主との出会いによって迫害者サウロが主の弟子パウロになったことを語り続けています。

 ガラテヤ書は信仰とキリスト者の自由について書かれたものです。律法主義者の掟に縛られた奴隷から十字架によってその奴隷から自由なキリスト者となった自分の経験から、証しした書簡です。私はこのパウロの経験を追体験した者です。

 

 

【互いに重荷を担いなさい】 ガラテヤ6章1〜19節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年1月21日

 1節のみ言葉が強く迫ってきます。「兄弟達、万一誰かが不注意にも何かの罪に陥ったなら、『霊』に導かれて生きているあなた方は、そういう人を柔和な心で正しい道に立ち帰らせなさい。あなた自身も誘惑されないように、自分に気をつけなさい。互いに重荷を担いなさい」ここを読んだ時主イエス様が十字架の前夜弟子達に語られた。ヨハネ15勝2節『私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない』を思い出しました。

 互いに重荷を担うには、主に愛された経験が必要です。私達は人の間違い罪汚れなどよく分かります。その時私の取る行動がどのようなものかによって『霊』に生きているか否かが分かります。キリストが私を愛して下さったように隣人を愛して正しい道に立ち帰ることが出来るように務め励むことが隣人の重荷を担う事です。そうすれば隣人も私の気がつかなかった罪汚れを見分けてそれを自分の重荷として担ってくださるのです。そして、お互い主の愛に満たされるのです。

 ジョン・ウエスレーのジョージア伝道は完全な失敗でありました。野呂教授は失敗の原因を3つ挙げています。その第一はウエスレーの品性や教養の高さが、粗野な植民地の人々に理解されなかった事です。ウエスレーのような人の心の裏に、自分と同じような汚れた動機を想像し、きれいなものを汚してしまわなければ生きていけない人々がいることに、ウエスレーは気がつかなかった事でした。彼は自分の信仰と善行の足りなさを攻め続けていましたが、その事を憂えた友人達の手引きで植民地を脱出しました。第2第3は又の機会にします。

 1738年5月24日の彼の日誌に記されています。ロンドンのアルダスゲイト街のモラヴィア派の雰囲気の強い会合で、ある人が、ルターの書いた「ローマ人への手紙の為の序文」を読んでいた。丁度、ルターが、信仰とは何であり、そして信仰のみが人を義とすると書いてあるあたりに来た時、9時15分前頃第二の回心の経験をしました。彼は続けて日誌に述べます。「私は私の心が不思議に温まるのを覚えた。私は、救われる為に、唯きりストのみに信頼した、と感じた。そして、私の罪をキリストが取り去って下さり、罪と死との律法から私を救って下さったと言う確信が与えられた。・・・そこで、私は、初めて、今、私の心に感じた事柄を、公にそこにいる全ての人々に証ししたのである」この第二の回心が高教会的な教理即ち十字架上の主の贖罪の死と、神によって与えられ神の恵みによって支えられた良い行為によって救われるということから解放されました。

 その確信から、ジョウジアでの失敗を乗り越えて、大酒飲みや荒れた生活をしている人々の生活をウエスレー自身の重荷とした彼の伝道生活が始まり、メソジスト活動が本格化しました。やがてお互いの重荷を担い合う人々が起きてイギリスに魂の大覚醒がおきました。

 6章1〜2節。「兄弟達よ、もしある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなた方は、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。互いに重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなた方はキリストの律法を全うするであろう。」かくしてメソジスト運動がおこなわれたのです。

 5節「めいめいが自分の重荷を担うべきです。7節思い違いをしてはいけません。神は、人に侮られる事はありません。人は自分の蒔いたものを、また刈り取ることになるのです。8節自分の肉に蒔く者は、肉から滅びを刈り取り、霊に蒔く者は、霊から永遠の命を刈り取ります。9節「たゆまず善を行いましょう。飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。10節ですから、今、時のある間に、全ての人に対して、特に信仰によって家族になった人々に対して、善を行いましょう」

 4節「各自で、自分の行いを吟味して見なさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇れないでしょう」ウエスレーが高教会主義の教えに縛られた時には、低い身分の人を愛しているつもりでも良い行いをしていても、自分自身が救われた確信が持てずに苦しみました。しかし第二の回心きよめの経験をしたときすべてを主に委ねた。その時隣人の重荷を担うことができました。

 私たちホーリネスを標榜するからには自分の重荷を担いその上お互いの重荷をも担わなければなりません。隣人の罪穢れを見たときそれを責めるのではなく自分の重荷として取り組むものが、キリスト者でありホーリネス信徒です。

 

【主の一家エジプトへ】 マタイ2章1〜15節

説教者 深佐 隆英 名誉牧師
2018年1月7日

 16世紀のドイツの天文学者で惑星の運動の法則等を発見したケプラー。彼の計算によると中近東で、BC7年に木星と土星が1年間に3回合(ごう、天文学で星が重なって見えることを指す)これがベツレヘムの星だろうと言われています。当時ペルシャ、メソポタミヤ、ユダヤ地方にまでに広がった占星術によるとこの二つの星の合はユダヤに王が生まれる印としていました。

 そこで占星術の学者たちが東からエルサレムに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私達は東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」とヘロデに尋ねました。
疑い深いヘロデ王は自分の王位を奪うものの誕生だと不安に思った。その事を聞いたエルサレムの人々もヘロデがどのような悪巧みをするかと不安になりました。

 王は民の祭司長達や律法学者達を皆集めて、メシアは何処に生まれることになっているのかと問いただした。彼等は言った「ユダヤのベツレヘムです。預言者(ミカ5章2節)がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決して一番小さいものではない。お前から指導者が現れ、私の民イスラエルの牧者となるからである。』」

 そこで、ヘロデは占星術の学者達を秘かに呼寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼等が王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者達はその星を見て喜びに溢れた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼等はひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬、を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところに帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分達の国へ帰って行った。

 占星術の学者達が帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母とをつれてエジプトへ去り、ヘロデが死ぬまでそこにいた。

 ヘロデは東方の学者に騙されたと知って大いに怒った。そして学者達に確かめた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。

 ヘロデが死ぬと、主の天使がエジプトにいるヨセフに夢で現れて、言った。「起きて、子供とその母親を連れ、イスラエルの地へ行きなさい、この子の命を狙っていた者共は、死んでしまった。」それを聞いて、イスラエルの地に帰ってみると、ヘロデの悪辣な子があとを継いでいた。夢でお告げがあったのでガリラヤ地方のナザレの町にいって住んだ。

 戻りますが、ルカ1章26節天使ガブリエルが老女エリサベツの身ごもった6ヶ月目に、マリアに神から遣わされて、主イエス様の誕生が予告されました。バプテスマのヨハネの奇跡的な誕生は、マリアにとって大きな信仰の助けになったことでした。天使ガブリエルが去った後、マリアはユダの町ザカリヤの家に行った。マリアがエリサベツに挨拶すると胎内の子供がおどった。エリサベツは聖霊に満たされて声高らかに言った。「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。私の主のお母様が私のところに来て下さるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃった事は必ず実現すると信じた方は、何と幸いでしょう。」ガブリエルのお告げをここではっきりとマリアは信じたのでしょう。16節以下のマグニフィカートの賛美でその事を証ししています。マリアは、3ヶ月ほどエリサベツのところに滞在してから、自分の家に帰った。

 一方ヨセフは夢に現れた天使のみ告げを信じてすぐに行動に移しています。マリアがザカリヤを通して主の言葉の実現を見たのとは違って、彼の場合は夢で天使のみ告げを受けて何の保障もなしで信じた彼の信仰の純粋性をみます。彼の信仰の行動は神様がご計画された主イエス様の人類の救いが実現されたと言ってもよいほどです。

 救い主の誕生を知っていた祭司長や律法学者達は占星術の学者達とは対照的に誰一人、主を拝しに行きませんでした。ヘロデ王の場合は占星術の学者に「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝もう」と学者たちを騙して、主を亡き者にしようとしたのですが、夢で学者達はヘロデのところに行くなと告げられ別の道を通って故郷へと帰って行きました。

 占星術の学者が帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去った。ヨセフは直ちに行動に移した。エジプトでの当分の生活は東方からの贈り物で賄われたのでしょう。

 ヨセフの信仰の行動力、マリアの信仰に守られて人類の救いが実現したのです。預言の言葉を知っていても行動に移せなかった指導者達、殺人を目論むヘロデ王、星を尋ねて旅をして主を拝んで喜んで帰った学者達、私は自分をこの人々に重ねてみて。神様の教え聖書を学びながらそれが実行できているか、強く胸に迫るものを感じました。皆様は如何ですか。

 旧約の人々は夢で神様のお告げが天使を通して伝えられることを経験して信じていました。新約の時代でも神様の御意志が夢で天使によって伝えられる経験をして夢の中で神様のみ旨を信じる人がおられますが、その事はその人に与えられた道でありましょうが、現代の多数の人々には聖書のみ言葉によって神様のみ旨がつたえられ場合が通常のことですので、神様の御意志を知ろうとお祈りする時には、聖書のみ言葉を蓄えていなければなりません。その良い方法は先ず聖書を創世記から黙示録まで通読する事です。疑問点は聞いてください。私ならわからない事は調べてお知らせします。

 


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