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Q1.聖書について

A1.聖書(旧約、新約、旧い契約、新しい契約)はキリスト教の経典です。カトリック教会は聖書とともに伝承(教皇の言葉など)を非常に重んじるが、プロテスタントでは、聖書だけを唯一の経典とします。バイブルは本の意味でありますが、真の本、唯一の本、ザ・バイブルといえばキリスト教の経典、旧・新約聖書だけをさします。

旧約聖書TheOldTestament BC(キリスト誕生前)約千年にわたって書かれたユダヤ、イスラエルの文書。ユダヤ教の経典です。キリスト教では新約聖書とあわせて聖書といいます。契約は神が人との関係を打ち立てるためになされた約束です。その旧い契約、神がイスラエル民族を選んで自分の民としました。

これに特別の使命と約束を与えるのが契約。それには神よりの律法が条件として示されました。イスラエルは罪のためその条件を満たすことができませんでした。

そこで神はイエス・キリストを世に送って契約を改めた。対象を世界の万民に拡大しました。イエス・キリストの贖いを信じる者はすべて、神の民とする約束、これが新約(新契約TheNewTestament)です。 旧新契約に二つの特徴があります。1)神の側から約束が一方的になされている。2)神の恵みに発している。 (聖書辞典等より要約)

Q2.日本ホーリネス教団

A2.日本における聖潔派の元祖といってもよい。メソジストの中田重治牧師がC.E、カウマンと協力して東洋宣教会を設け、伝道中心の活躍をしました。1919年(大正6)中田監督はこれを改組して日本人による一教派としました。

各地の伝道館を教会と改称、東洋宣教会を後援団体としました。四重の福音(新生、聖化、神癒、再臨)を強調し、教勢大いに発展して庶民間に多くの信徒を獲得しました。

大正と昭和に信仰復興(リバイバル)がおこり、再臨信仰が燃え上がりました。この行き過ぎのために二派に分裂しました。戦時中両派とも弾圧を受け、教会は閉鎖、牧師は逮捕されたが、敗戦後再建され現在に至っています。ホーリネスは聖潔(きよめ)の意味です。

Q3.キリスト教葬儀について

A3.プロテスタント教会の葬儀は、神に対する礼拝、復活の希望の更新、遺族への慰めの機会とされています。

現在は国などによって葬儀の方法が異なります。日本の教会においても、日本人固有の慣習の影響などがあって、多少混乱があって反省されています。

火葬を原則とする日本においては、墓地での埋葬ではなくて、教会堂において葬儀を行うことが多いです。

通常行われる礼拝のプログラムと変わりなく、2・3の弔辞が挿入されますが、死者を礼拝すること、死者に呼びかける事、死者のために祈ることは禁じられています。

葬儀に先立って、納棺、前夜、出棺などの式、葬儀後に火葬前式、埋葬式など行うことが多いです。

また毎年召された日に記念会を、11月の第一日曜日の主日礼拝に教会の信仰の先輩の召された方々を偲び、遺族を招いて聖徒の日礼拝を行う教会もあります。私たちの教会はこの聖徒の日礼拝を行っています。またご家庭・教会堂にても記念会がもたれます。

Q4.キリスト教の異端は何故おきるか(黙示録22章12〜21)

A4.1517年10月31日、ヴィッテンベルク大学の掲示板代わりに使用されていた「城教会」の扉に、ラテン文の論題が貼り出されました。これは大学関係者等に学問的な討論を要請する論題を箇条書きにしたものです。

ルターはこの95か条を書いたが、これが宗教改革という世界史的な出来事の糸口となりました。当時ドイツでは、テッツエルが免罪符を悪辣なやり方で売り歩いていました。それに彼は憤激しての事です。

論題の第27条「箱の中へ投げ込まれたお金がチリンと鳴るや否や魂が天に昇るという人々は、人間の教えを説いているのである」と述べています。この免罪符はヴァチカン宮殿の聖ペテロ礼拝堂を新築するために、イタリヤの金融財閥メディチ家から多額の融資を受けその返済のために売り出されたものでした。この事に対してルターは罪の赦しは、聖書の言葉(神の言葉)による信仰の立場からこれを批判したのです。

申命記4章2,12章32『あなた方に命じるこのすべての事を守って行わなければならない。これに付け加えてはならない。また減らしてはならない』と述べています。また新約の預言書といわれる黙示録を閉じるに当たって、22章18・19『・・・・もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられます。

また、もしこの預言の書の言葉を取り除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、取り除かれる』とも述べられます。聖書はテモテが言うように『聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である』キリスト教の経典は旧新約聖書のみです。私は哲学、神学、その他多くの本を読んできましたが、より深く聖書を理解するために用いてきました。

しかし私はどのように優れた人の言葉も、聖書と並べて51年間説教をしてきませんでした。聖書講解に徹してきました。

私は物事を決断しなければならないときなど、まず聖書はなんと語っているだろうか、今ここに主がおられるならば、私になんと言われるだろうか、主イエスさまだったらどのように行動なさるだろうかと、祈りのうちに進むべき道を決めることにしてきました。

先輩たちの信仰者がみ言葉によって導かれた証しも大事にします。



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