坂下門と皇居西の丸 2009年1月2日 一般参賀

西の丸下は、内濠を含めて100万平方メートル弱の造成地である。そこに6基の枡形城門を備えていた。南から反時計回りに、和田倉門、馬場先門、外桜田門、西丸大手門、坂下門、内桜田門(桔梗門)である。
坂下門も、他の城門と同じように、創建当時は枡形門であった。枡形門とは戦国時代から城を守備し、かつ城から攻撃するための戦略的な城門様式で、堀に面した正面に第一門を構え、その内側に武者溜りの空間を設け、正面から右、または左に第二門となる櫓門を設けたものである。
現在の坂下門は明治21年、皇居の新築に伴い、第一門を撤去して、第二門の櫓門のみを残し、第二門が正面を向くように移設されたものである。
かつての坂下門は「江戸建築叢話」(大熊喜邦著)によれば、『第一門を入って進路左折、枡形の広さは奥行約16間、幅10間、高塀一方である』
坂下門の警備状況は鉄砲10、弓5、長柄10、持筒2、持弓1を配備し、5万石の先手頭、およびその配下の与力・同心が警備することになっていた。


幅10間(約20メートル)奥行16間(約32メートル)
第一門を破って敵が侵入して来ても、まっすぐに勢い良く第二門へ突入できないように、第一門を入ってから左側に櫓門を配置している。枡形で立ち往生した敵を、(櫓=矢倉)上方から矢や鉄砲を打ちかける。
城内から出撃する場合には、まず第二門を開いて軍勢を枡形の中へ収納し、第二門を閉ざし、次に第一門を開いて出撃する。


西の丸下は桔梗濠、和田倉濠、馬場先濠、日比谷濠によって囲まれ、和田倉門、馬場先門、外桜田門によって防御されていた。西の丸下には、安藤対馬守(信正)邸、内藤紀伊守邸、松平下総守邸、松平肥後守邸、久世大和守邸、堀出雲守邸、酒井右京亮邸、諏訪出雲守邸など有力大名の江戸屋敷が建てられていた。また、登城する大名や、御家人の格によっては、乗馬での城内乗り入れが制限されていたために、馬を置いておく厩舎があり、屋敷の角には警備のための辻番所が置かれていた、
皇居の見学について

江戸城の本丸や天守閣は西の丸の東北に位置しており、現在は皇居東御苑として月曜日と金曜日を除き、ほぼ一年中無料公開されている。入場は大手門、平川門、北桔梗門の3ヶ所があり、天守閣跡や大番所、百人番所などを見学することができる。
これに対して、西の丸一帯は、皇居新宮殿(天皇が公務を行ったり、儀式やレセプションを行う)や吹上御所(天皇の住居)、宮中三殿などの公的施設や天皇家の祭祀施設などがあるため、一般の見学は限られている。
西の丸を見学するためには、あらかじめ人数や日時の予約申込を行った上で、1日2回、それぞれ約1時間半のコースが決められている。このほか、天皇誕生日(12月23日)と、新年の一般参賀(1月2日)に入場することができる。(詳しくは宮内庁ホームページ参照)

2009年1月2日 新年の一般参賀へ出かけてみた。

皇居一般参賀の順路
@西の丸下(皇居前広場) A西の丸大手門(皇居正門) B伏見櫓 C二重橋 D新宮殿 E坂下門 F内桜田門(桔梗門)
G巽櫓 H安藤対馬守(信正)邸跡         
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