二重橋から新宮殿へ


石橋より二重橋を望む
 二重橋から石橋を望む。遠方は丸の内ビル街。

二重橋は西の丸下乗橋のことで、西の丸下から石橋を渡って正門をくぐる。ここから先は「下乗」と言って、大名や旗本であっても馬や輿を下りて徒歩で城に登る。このため二重橋は下乗橋の名があった。
二重橋はかつて木製橋であった時代に、強度を上げるため、土台の橋が設けられ二重構造になっているので、二重橋と呼称されたものである。
1964年に新宮殿が建設された際、鉄製の橋に懸け替えられた。現在では、下段にある正門石橋と上段にある西の丸下乗橋が、皇居前広場から見上げると二重に重なって見えるため、現在では2つの橋の総称として二重橋と呼ばれることが多い。正門石橋のアーチが二つある(眼鏡橋)ことで、これを二重橋と呼ぶことがあるようだが、これは誤りだそうである。
二重橋事件
1954年1月2日、皇居一般参賀の際に38万をこえる人々が一般参賀に訪れたが、警備警官が群衆整理用のロープをあげた途端に二重橋の石橋に参賀者が殺到して将棋倒しとなる事態となった。下敷きになった16人が死亡し、65人が重軽傷を負った。
今年も大勢が参集したが、警察官の誘導整理でスムーズに行列が進む。

皇居新宮殿 正面は長和電

新宮殿全景



宮殿は,昭和43年(1968年)に完成した鉄骨鉄筋コンクリート造りの地上2階,地下1階の建物です。入母屋造りの大屋根と柱・梁で構成される日本古来の建築美がいかされており,その建築資材のほとんどは国産のものが使われています。宮殿は,その中心をなす正殿(せいでん),豊明殿(ほうめいでん),長和殿(ちょうわでん),連翠(れんすい),千草(ちぐさ)・千鳥(ちどり)の間など7つの棟から構成されています。現在の宮殿は,天皇皇后両陛下のお住まいになるところではなく,国賓等の接伴や国の公の儀式・行事などに使われています。
平成21年の新年に当たり天皇陛下のご感想
昨年は,台風の上陸もなく,自然災害による犠牲者の数は,例年に比べれば少なかったのですが,岩手・宮城内陸地震及び岩手県沿岸北部を震源とする地震によって,山間部に大きな被害がもたらされ,人命が失われたことは痛ましいことでした。日本の厳しい自然のもとでは,皆が防災に対する認識を更に深めることが大切であると思います。
 また,秋以降,世界的な金融危機の影響により,我が国においても経済情勢が悪化し,多くの人々が困難な状況におかれていることに心が痛みます。国民の英知を結集し,人々の絆を大切にしてお互いに助け合うことによって,この困難を乗り越えることを願っています。
 今年は,私が即位してから満20年,そして,私どもが結婚してから満50年にあたりますが,歳月の流れにいろいろと思いを致しております。皇后と共に,これからも,国と国民のために尽くしていきたいと思います。


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