「横笛」より    山本周五郎


      一
「秘策があるのです、これならばという策があるんです。」
平山兵介はねめつけるように眼を光らせ、膝でにじり出ながら声をひそめて云った。
 「聞くだけは聞こう、なんだ」
 大橋順蔵(訥庵)はいつものむっとした顔で相手の眼を見ずにそう答えた。それはまるで心のうごいていない人のようである、平介はひそめた声に力をいれて云った。 
 「われわれが安藤閣老をやると同時に、多賀谷、尾高の同志が筑波山に本陣を据えて、水戸、結城の兵を集めて旗を挙げるんです。」
 「それで秘策というのは・・・・」
 「おそれおおいことですが、ただいま輪王寺宮が日光におわすのをご存じでしょう、御座まわりにはさして人もおりません、ですから宮家を迎え奉って挙兵すれば、おそらくこれに弓をひく者はなしと信じます。」
 「いけない、それは暴策も甚だしい。」
 「どうして暴策ですか」
 反問しながら兵介はふいに眉をひそめた、ひと間おいた向こうの部屋でしきりに横笛の音がしている、こちらの密談の重要さも知らぬふうで、ときどき笑ったり話したりしながら、おなじところを繰り返し吹いているのが、やかましいばかりでなく、こちらとは逆にのんびりとした遠慮のないさまに思えて、兵介はさっきから癇に障ってならないのだった。
 「なにごともなく宮を迎え奉ることができればよい、しかし御座を守護する者がそれを拒むのはわかりきったことだ、そのとき力をもって迎え奉るとすれば不敬の名を蒙る、初めに名を失って事がおこなえると思うか」
 「根本が大義に存するかぎり一時の名の得失は問題ではないでしょう」
 「そういう考え方を暴というのだ、しかしいまそれを論じていてもしようがない、わたしは不賛成だ、まだその時機ではないと思う、それよりも、・・・・・」
 順蔵は少し身をかがめるようにした。
 「実は数日まえに岡田真吾が松本キ太郎といっしょに来た、そして一橋刑部卿(慶喜)をうごかして事を謀ろうという」
 「その話は聞いています、けれども」
 「いや異論のあるのはわかっている、だが幕府のまん中から刑部卿をうごかすことができるとすれば、名分はもとより諸国への影響力はひじょうなものだ、成否は別としてやるだけやってみる価値はある、さいわい一橋家の山木繁三郎という者が知己だから添書を書いた。二人はすぐに一橋家へいった筈だし、もうその結果を知らせに来る頃だ。いずれにもせよいまのはなしはその結果がわかってからにしたらどうか」
 兵介はじっと口をつぐみ、ながいことものも云わずに坐っていたが、やがて「ではみんなにその旨を伝えてみます」と云って辞去した。
 安政の大獄から四年、大老井伊直弼が桜田の変に死んでから二年、王制復古、攘夷、倒幕の機運はしだいに熟して、志ある人々はいたるところで挙兵の企てを急ぎつつあるときだった。大橋順蔵の周囲にも、宇都宮藩士を中心にして事を謀る者が少なくない、順蔵は時機到らずとして暴挙を戒める一方、ひそかに京都と連絡をとり、朝命を拝して大事を決行すべく密計をすすめていた。・・・・しかし血気の青年たちはそういう遠大な計画よりも、現実にもうなにごとかを為さずにいられなくなっていた、そして順蔵もその全部を抑えきれなくなり、岡田真吾、松本キ太郎らの一橋慶喜をひきだすという策に、一臂の助力をせざるを得なかったのである、すなわち慶喜の近習山木繁三郎はかねて知己でもあり、志を同じゅうする人物でもあったから、慶喜への周旋を依頼する添書を書いて真吾らに与えたのだ。
 ━万に一も刑部卿がうごけば、それはそれとして軽からぬ意義があるだろう。
 かれはそう考えていたのである。
 「お客さまはもうお帰りでございますか」妻の巻子がしずかにはいって来た、「しるこ餅でもさしあげようと存じまして、いま作りかけていたところでございますのに」
 「笛を吹きながら餅焼きか」
 むろん皮肉ではないが、順蔵の調子にはどこかしら棘があった、巻子は気がつかないのか、気がついても知らぬ顔をしているのか、四十に近い年とはみえぬ艶やかなおもてに、ほのぼのとしたやわらかな微笑をうかべながら、いいえ支度はうめがしておりますと事もなげに答えた。あまりにすなおな、悪くいえば神経が鈍いとも思える妻のようすに、馴れてはいながら順蔵はめずらしく言葉を尖らせた。
 「笛の稽古もよいが、来客のときは少し遠慮をしてもらえないか、客によっては重要なはなしもあるし、そうでなくとも、あまり気楽すぎるようで聞きぐるしくなる」


      二


 「それは申しわけのないことでございました」
 巻子はちょっと眼をふせた、「お耳障りになろうとはつい存じませんでしたので、・・・以後はよく気をつけます。
 おとなしく詫びたことは詫びたけれど、伏せた眼をあげると、もういつもの穏かな、なにごともない笑顔に戻っていた。そして、もうしるこ餅ができたろうからめしあがるなら持ってまいりましょうかと云った。
 「いや、わたしは欲しくない」
 かれは憮然として眼をそむけ、
 ━ 人間の育ちが違うのだ。
 ということを改めて思いかえした。
 それはこれまでにもしばしば感じたことだった。順蔵は上野のくに群馬郡の生れで、父は清水赤城という貧しい兵学者だった、かれは幼いときから学才にめぐまれ、長じて佐藤一斎の門にまなんだが、そこでもぬきんでて頭角をあらわし、二十六歳のとき望まれて、大橋淡雅の養子となった、巻子はすなわち淡雅のむすめである。・・・大橋家は富豪として名高かったし、順蔵の才分をよく理解していたから、日本橋村松町に大きな塾を建て、そこを夫妻の住居ともして与えた。以来二十年、かれは宇都宮戸田家に招かれてその藩儒となり、すでに押しも押されもせぬ天下の学者だった。
 順蔵が妻の巻子と自分との育ちの違いに気づいたのは結婚して間もなくのことだった。かれが貧しい兵学者の子であるのに対して、巻子は世の風雪から遠い富家の深窓に成長した、からだつきも顔だちもおっとりとたおやかだし、いつまで経っても娘のように汚れのない、明るく温かな、すなおな性格をもっていた、それだけでも、どちらかというと烈しい気質の順蔵とは対蹠的だった、ほかにいちいち例を挙げるまでもない、家常茶飯、眼に見えぬところに差が感じられた。
 ━ わたしの為事には口をださぬように、
 初めにそう云ったことはそのままかたく守られてきた、良人を信じきり、すなおにその云いつけを守るのではあろう、それは間違いではないのだが、しかしあまりにさっぱりとしすぎて鈍感のようにさえ思える、すべてがそうだった。
 ━ 結局はこれがいいのだ。
 そうは考えるものの、ときには積極的に良人の支えになろうとする気持もほしいと思う、もちろん常にはそんなことを考えるいとまもなかったけれど、・・・順蔵は勤皇攘夷を主張しだしてから、同志の人々の出入りが多くなったので、この向島小梅へ住居を移した、するとその頃から妻の巻子は横笛をならいはじめ、三条家のながれを汲むという老人が通って来ては稽古をつけた。
 ━いまさらなにを気まぐれな。
 むしろ苦々しく思っていると、半年ほどして師匠をことわってしまった、勘が悪いとみえていつまでしても一の曲があがらないのである、それからは独りで譜をたよりに稽古をして来た、それがよくも飽きないものだと感心するほどいつも同じ曲ばかり吹く、この頃では順蔵は馴れてしまったが、要談をもって来る同志の人々には耳障りになる場合がときどきある、若い時分ならともかく、もう小言をいう年でもないし、そのうちには自分で気がつくであろうと捨てておいたが、とうとう今日は云わずにいられなかったのであった。
 「笛もよいから、稽古をするならやはり師匠についたらどうか」
 順蔵はふと妻へふりかえって、「なにごとでも芸はひとり合点ではならぬものだ、日をきめてこちらから通ってみるがいい」
 「でもわたくしのはほんの慰みでございますから」
 巻子はそういって笑い、折から門に人のおとずれる声がしたので、自分の部屋へ立っていった。・・・小梅にあるこの住居には、若い門人の林悳三ひとりだけいて、客の取次ぎや書斎の用をつとめている、巻子が去るといれかわりにはいって来た悳三は「大場左太夫どのからお使です」ととりついだ、大場左太夫は主家宇都宮藩の用人のひとりである。
 「なにごとだろう」
 藩邸からの用事はたいてい村松町の塾のほうへ来る例だった、なにか急用でもあるかとすぐに使者と会った。
 「事務についておたずね申したいことがございますそうで、拙者と御同道くださるようにと申付かってまいりました」
 「御用の仔細はおわかりであろうか」
 「事務についてとだけ承っております」
 なにごとだろうと考えてみたが見当がつかなかった、しかし主家からの迎えなので、順蔵はすぐに支度を直し、下僕の藤吉をつれて使者とともに藩邸へでかけていった.・・・一刻ほどすると、しかし下僕だけ帰って来た。
 「大切な御用ができまして、三四日お屋敷におとまりなさるとのことでござります」
 そう聞いて巻子は、どうしてかさっと顔色を変えた。

    三

 ━ しまった。
 順蔵は歯がみをした。どれほど悔んでも悔み足らなかった、ゆだんといえばゆだんであるが、まさかそんな罠があろうとは思えなかったのだ。藩邸へあがって大場に会うと、そこで幕府大目付の者にひきあわせられた、そしてそのまますぐに拘引されたのである、原因は岡田真吾らに与えた一橋家への添書だった、すなわち山木繁三郎が変心して訴え出たのだ。
けれど順蔵が「しまった」と歯がみをしたのはそのことだけではない、自分の一身に関するかぎりその覚悟はできていた、一死はかねて期しているところだ、しかしそのときはまったく不意をつかれたので家の中の始末がしてなかった、京都をはじめ諸家の同志と往復した文書が、手つかず書斎に置いてある、もしもそれが幕吏に押収されるとすれば、いかなる方面へいかなる害が及ぶかも知れないのだ、村松町の塾のほうなら門人も多いし、誰かすばやく始末をする希望もあるが、小梅の家には悳三ひとりだし、妻はもとより為事にはつねづね無関係だから、順蔵でさえ思い設けぬ出来事に気づく筈はない。
 ━ 万事休した。
 かれはおのれの五体を寸断したいような気持だった、そしてただ天祐を祈るほかになんのすべもなかったのである。
 審問に当たったのは町奉行黒川備中守(盛泰)だった。そこで山木繁三郎の変心を知ったのである、順蔵はそれに対して「岡田松本らは門人であるし、達ての乞いだから添書は書いた、しかしかれらが刑部卿へいかなる上書を持参したか自分はまったく知らない」と答えた。訊問はたびたび繰り返されたが、能弁できこえたかれにはめずらしく、反駁もせず強弁もしなかった。ただ言葉すくなにおなじことを答えとおした。
 ━ だがいまに押収された文書をつきつけられるだろう、今日か、明日か。
 心では今にもそのときの来るのを覚悟しながら、かれは飽くまで隙のない平静な態度を崩さなかった。・・・すると間もなくどうしたことか審問がうちきりとなり、かれは戸田家の藩邸へさげられて邸内禁固となった。
 ━ どうするつもりだろう、嫌疑が解けたのだろうか。
 かれは一応そう思った、しかしそんなに単純に済ませるくらいなら初めから拘引などという手段はとらなかった筈である、なにか奸計があるのだ、ゆだんはできぬ、そうも考えたのでなお心をひきしめていた。
 藩邸へ移されてから三十日ほど経った或る夜のこと、もうかなり更けた時刻に牢舎の戸をそっと叩く者があった、「椋本でございます」という。順蔵は思わず闇のなかを手さぐりですり寄った、椋本八太郎は門人のなかでも腹心のひとりだった。
 「どうして此処へ来られた、そのほう独りか」
 「此処にはわたくし独りです、間瀬さまのお計いで今宵ようやく望みが協いました」
 間瀬和太夫は藩の老職で、順蔵とはかねて昵懇のあいだがらである、そのてびきならと少しは安心することができた。椋本は囁くような声で、まず坂下門の変を告げた、正月十五日に平山兵介らが閣老安藤対馬守(信正)を襲い、失敗して同志七人その場に死んだ事件である、順蔵は聞きながら息苦しくなった。
 「まるで失敗だったのか」
 「背を一刀だけやったそうです」
 「・・・平山も斬り死にか」
 さいごに会ったとき時期を待てといったら、いかにも不服そうにむっとして帰っていった、あのおりの兵介の顔を思いうかべながら順蔵は暗然とした。
 「しかし先生のおからだは大丈夫かと思えます」椋本はつづけた、「塾へも小梅のお住居へも幕吏のていれがありました、また奥さまも両三度ほど奉行所で訊問をおうけなすったようですが今はお住居にご無事でおいでです、精しいことはいずれまたお知らせ申します」
 それだけ報告すると、椋本八太郎はまた足音を忍ばせて去っていった。
 はたして塾も住居も捜索された、そのうえ妻までが奉行所で訊問されたという、それで大丈夫だということがあるだろうか、いや大丈夫な筈がない、椋本などには察しのつかぬところでなにかしらぬきさしならぬ手段がめぐらされているのだ、まして坂下門にそのような出来事があったとすればなおさらである。
 ━ だが、いずれにしても次ぎの報告でなにかわかるだろう。
 順蔵は闇を手さぐりでゆくような、落ち着かぬ気持ちでそれからの日夜を過ごした。
 季節は五月にはいり、空気の淀む狭い牢内は日に日に蒸し暑くなった。午後に雷雨があってそのなごりの雨がそのまま降りつづいている或る夜、やはり同じ時刻に牢をおとずれる者があった、待ちかねていた順蔵はすぐに戸口へ身をすり寄せた。
 「椋本か」そう呼びかけると、囁くように「林悳三でございます」という返辞が聞えた。
 


       

 「椋本は捕吏に追われていますので身を隠しました、それでわたくしが代りにまいったのです」
 「何か変ったことでもあったのか]
 「いいえ安藤閣老が老中を免ぜられまして、事情は却って好くなってまいりました」
 「対馬守がやめたか」
 順蔵はたしかめるように反問しながら、ふと眼の前にはげしい時代の動きをみるような気がした。
 「先生のおからだも間もなく釈放のはこびになるであろうと、間瀬さまのご伝言でございます」
 「だが悳三、・・・小梅の家を捜索したとき幕吏は書類を押収したであろう、奥も奉行所へ喚問されたというではないか、それでも大丈夫だというのか」
 「はい、すべて奥さまのおかげで・・・」
 云いさして悳三はふと声をのんだ、そしてどうしたのだと二度まで促されて「これは固く口外を禁じられているのだが」とことわったうえ、感動を抑えたこわねでしずかに云った。
 「あの日、先生が藩邸へおいでになり、藤吉だけ戻ってまいりまして、大切な御用で三四日お屋敷におとまりだと申しますと、奥さまはどう思召したものかすぐに書斎へおいでになりました、そして、めぼしい文書をすっかり始末なすったのです」
 「奥が、・・・文書の始末をした?」
 「わたくしは理由がわかりませんので、はじめはお止め申しました、書斎のことはわたくしが承っておりますからと・・・しかし奥さまはわたくしの手をふり切って『もし間違ったら自分が自害してお詫びをする』と仰せになり、重要だと思える書類は一片もあまさず焼き捨てておしまいになったのです」
 聞いている順蔵の眼に、そのときふっと妻の姿がうかんできた、苦労を知らぬのどかなようすで、しきりに横笛を吹いている姿が。
 「それから二刻ほど経って、町奉行の役人が家内の捜索にまいったのです」
 悳三は、そのときの驚愕を思いだすのであろう、慄然とした調子でそうつづけた。巻子が奉行所へ召喚されたのは二月だった、そのときもかの女は落ち着いたさまで、
 ━ 良人の為事については塵ほどのことも知らない、それに自分はちかごろ笛の稽古に夢中で、どんな訪客があるかさえ気づいたことはない。
 そういって微笑するだけだった、平常どおりおっとりとした、いかにもなごやかな態度で、わるびれたところは微塵もみえなかった、そのようすで役人はすっかり嫌疑をはらしたのである。
 「すべて奥さまのおかげです、書類の始末はもとより、審問のときの応対のなされかたですべてがきまったのだと思います、・・・先生に申上げてはならぬと固く仰せでしたが申上げずにはいられませんでした、奥さまへはどうぞそのおつもりでおいでを願います」
 順蔵はもう聞いてはいなかった、かれの胸は生れて初めての感動に大きくなみうっていた、妻はなにもかも知っていたのだ、「育ちが違う」「苦労を知らぬ」「気楽者だ」そう思っていた妻の、本当のすがたが初めてわかったのである。良人がとつぜん藩邸に数日とまると聞いて、すぐ重要文書の始末をしたのは偶然かも知れないけれどもつねづねの緻密な注意がなかったら、そういう偶然さえあり得なかったであろう、日常おっとりして、なんにも苦労のないようにみえながら、実は巻子の神経は良人の生活のどんな隅々までもゆきわたっていたのだ。
 ━ そう思ってみれば、あの笛もただの慰みではなかったかも知れぬ、客が来て、重要な話になると笛を吹く、それは密談のようすを外へもらすまいとしたためではないか。
 そうだと順蔵は大きく頷いた、いつもおなじ曲ばかり吹いて少しも進歩しなかったのは、上達するのが目的ではなかった、密談を外へもらさないために笛を吹いていさえすればよかったからだ。
 ━ 巻子。
 とかれは妻がそこにいるもののように、闇の宙を見あげながら、そっと心で呼びかけた。
 ━ おれは気づかなかった、おまえがそのような妻でいて呉れたとは、今日まで考えてみようともっしなかった。・・・笛の小言を聞いたときはさぞ笑止であったろう、ゆるして呉れ。
 気性のはげしいだけよけいに、順蔵のうけた感銘は大きかった、そして女のちからが、男には気づきにくいところでどのようなはたらきをしているか、またそのちからの正しいか否かが男にとってどれほど大きく影響するかということを、初めて身にしみるほど理会したのである。
 ━ 巻子・・・。
 かれはもういちど心で呼びかけた、闇の空に思いうかぶのは、しかし、やはりいつものたおやかな、温かい微笑をたたえた妻のおもかげであった。

                     (「婦人倶楽部」昭和十八年十月号)


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