悪魔のダーウィン賞
■ 風船おじさん  

1992年11月23日琵琶湖湖畔を20個のヘリュウム風船をつけたゴン
ドラ「ファンタジー号」に乗って大空へ旅立った「風船おじさん(鈴木
嘉和 52歳)」の話はいまだに覚えている。
このゴンドラは横2m縦70cmのヒノキ風呂を改造したもので、携帯
電話、酒、酸素ボンベ、食料一週間分などを積んでいた。
彼の姿が見られたのは25日が最後。
アメリカに向かったはずだが、何故か宮城県上空で海上保安庁の航
空機に確認されている。
ということなので、2日間は確実に生きていたことになる。
携帯電話しかないのでは日本を離れたらもう連絡は取れないでしょう。
あれから約10年、いかに優秀な風船でも、もうヘリュームガスは抜け
ているだろう。
ダーウィン賞のことを聞いたとき真っ先に思い出したのがこの人のこ
とである。
日本人が情緒的なのは、この迷惑おじさんを「夢と共に空に消えた」
という調子で美化している方々が未だに結構存在しているという事実
でよく判る。

アメリカにも同じような人間がいた。
ラリー(33歳)は空を飛ぶのが昔からの夢だった。
ある日、自宅のローンチェアにヘリュームガスの詰まった気球を45個
結びつけ空にゆっくり飛び立ち、上空でゆっくりビールでも飲みそれか
らのんびり・・、の筈だった。
本人が乗り込み友人がつなぎ綱を切った瞬間、ローンチェアはロケット
のごとき勢いで上空にすっ飛んで行ってしまった。
100m、200m、ついに4,000m上空に達したときにやっと上昇を停止した
が、ここまで上ると気球を一個でも割るのが怖くなった。打開策を練るの
に数時間を費やしたが良い考えが浮かばず、意を決してついに持参して
いた空気銃で気球を2,3個打ち抜きロスアンジェルスの夜空を降りてい
ったが、こんどは気球のヒモが電線に引っかかり、ロングビーチ界隈を
20分にわたり停電させた。
警察の大目玉と、罰金にも懲りずに本人は大満足だったようだが、44
歳で猟銃自殺を遂げた。 (ダラスのボーンヘッドクラブ賞・有人ガス気球
飛行の高度新記録とダーウィン賞選外佳作賞を得た)

生涯独身、子供も作っていなかったのだから誠にダーウィン賞の精神を
よく理解した男であった。
奇しくも日本版風船おじさん事件より10年前の出来事。

(2002.3.20)


              


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