悪魔のダーウィン賞
■ 岸壁の母 

歌手の菊池章子さんが昨日(7日)亡くなった。
そのニュースを聞いて、大分前の話を思い出した。

「大ヒット曲「岸壁の母」のモデルとなった端野いせさん(一九八一年
に死去)が待ち続けた息子の新二さんが上海で生存していることを、
現地を訪れた慰霊墓参団が確認していたことが十日、分かった。新
二さんは「今更帰れない」と話しているという。

墓参団の一人、舞鶴市の唐桑敏行さん(76)によると、戦後現地に残
留した日本人からの情報で居場所が分かった。一九九六年から九九
年にかけて三回面談し、生い立ちや、持っていた身分証明書から新二
さんに間違いないという。
唐桑さんが「帰ってこないか」と問い掛けると「自分は死んだことになっ
ている。今更帰って、あれだけ有名になった母の顔をつぶすことはでき
ない」と固辞したという。
新二さんはシベリア抑留後、旧満州に移送された。現地で結婚し、十
七、八歳ぐらいの息子が二人おり、建設作業などの仕事をしていると
いう。
端野さんは終戦後、引き揚げ船が着く舞鶴港に通い詰め、その姿を
「岸壁の母」として、五四年に菊池章子が歌い、その後二葉百合子
のリバイバル曲で大ヒットした」(共同通信)
                     (京都新聞:2000.8.11)

もうこの歌の価値はゼロになってしまった。

それにしても、日本一の母親から日本一のバカ息子が生まれるとは何
とも皮肉だが、アンチダーウィン説論者にとっては絶好のサンプルであ
る。

(2002.4.8)


<追記>
2003年7月号の文藝春秋に「『岸壁の母』49年目の新証言」という記事が掲載
された。
筆者の斉藤充功氏(ノンフィクションライター)によると、この新二さんには双子の兄
弟(新太郎)がいたという。
上記記事が掲載されたさい、新太郎氏は新聞社等に連絡を取ったが梨の礫。
結局、真偽は不明のままだという。
なお、この双子の兄弟の家は函館でも有数の資産家である橋本家。
その橋本家の家作に住んでいた、端野いせから頼まれ新二さんの方が養子にいっ
たという。
「岸壁の母」と子は実は本当の親子ではなかったのだ。

(2003.8.8)



                      
     


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