悪魔のダーウィン賞
■ 野口英世 

野口英世と言えば子供のころ火傷で左手が不自由になり、それから一念発起して偉大な医学者になった。そして黄熱病の病原菌を発見した。と言うことくらい日本では小学生でも知っている。「日本では」とことわったのは逆に言うと「日本だけ」なのである。
「人の2倍、3倍、4倍努力出来る人が天才なのである」とは努力の人と言われた彼ご自身のお言葉だが、実際は反対で、医学者を志し上京してからは友人やら、篤志家からの援助金を遊興に使ってしまう放蕩生活を繰り返していたのである。そして金がなくなるとまた、無心を繰り返すという毎日であった。また女性関係も大変ルーズであった。
(ここら辺は石川啄木によく似ている)

野口の業績は実際のところ医学史にはあまり残っていないのである。
その彼が何故ここまで有名になったのかはよく分からないが、とくかく自分の優秀さを相手に売り込み金をたかるという強引さと頭の良さであろう。
(こんな放蕩生活の中で難問中の難問である医術開業試験に受かってしまうのだから)

野口英世と言えば母親の「シカ」への親孝行も有名である。
だが、これも渡米後数年経って日本に帰国した折り、長年ほったらかしにしていた母親に会いに行く際には新聞記者を同行させ、お涙頂戴の美談に仕立て上げたのが実際の話である。
野口英世の幼名が「清作」であったことは知られているが、何故変えたのかは案外知られていない。
話によると、坪内逍遙の小説「当世書生気質」の中で「野々口精作」という男が堕落していくように描かれていたため、それは許せないということで変えたというのが通説である。
しかし、悪魔は彼が単純に「清作」という名前では田舎の百姓さんみたいでかっこわるいと思ったからだ、と断言する。
その証拠に「英世」などという恥ずかしいようなかっこいい名前を臆面もなくつけているではないか。
この悪魔説が信じられなければ
「野口英世」 ・「野口清作」
と二つ並べた中でどちらが偉そうに見えるか?
どちらが偉そうに聞こえるか?である。
そういう意味では、日本人離れした自己PR能力と名誉欲の固まりみたいな男であった。

彼の業績で有名なのは「黄熱病」の病原体を発見した(と彼が発表してしまった)ことだが、これも実は間違い。「黄熱病」の病原体はウィルスだったが、当時は電子顕微鏡がなかったからウィルスを見つけることは不可能だったのである。だから、彼の「黄熱病ワクチン」はアフリカの黄熱病には効果がなかったのである。
アフリカに黄熱病研究のためにおもむき、本人が黄熱病にかかり、自分の作ったワクチンも効かず死んでしまった。
(アタリマエ)
結局「 I don't know (よく分からない)」というのが最後の言葉だからかっこよく生きてきた男にしてはかっこわる悪すぎる。

野口英世の伝記、記念館などで調べても不思議なことに「父親」は一切登場していない。
酒浸りのオヤジだったという話はあるが、それだけだったのだろうか。
アル中のオヤジ、無学の母親。そして頭は素晴らしく良いがかなりへんてこな息子。
ダーウィン説ではどう説明するか・・・・

彼の本当の、本当の死因は実は「梅毒」によるものであった(という説がある)。が、伝記にはそれは書けない。伝記作家もつらいところである。
(小中学生のいい子達が読むから)
ついでに言えば、面白いことに「梅毒」の病原菌の発見者は野口英世であった(こちらは本当の業績)。

これらを総合評価して、会津の方々には悪いが、彼を立派なダーウィン賞候補者として認定しなければならない。

(20024.29)



                      
  


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